戦火のカーブルから

カーブル便り第一便(五月十日)

今、カーブルにいます。


同じアフガニスタンでも南方のカンダハールとはかなり雰囲気が違います。
今までに味わったことのない独特の空気が漂っています。
つまり、戦争です。
最前線はすぐ近く(数百キロ先)にあり、
交戦状態にある街なので緊張感があって当たり前なのだけど、
開店直前のパチンコ屋とか、飛び込みで入った高そうな寿司屋とか、
システムの分からないファーストフードのお店の緊張感とは少し違います。
どちらかというと一昔前の元旦のような静かな緊張感に似ています。
商店などはボロボロになってるけど営業しており、普通の人々が行き交い、
道路工事などをしている光景だけを見ていると交戦中であることを忘れてしまいます。
しかし、何か普通と違う。いつでもなんでも起こりうる、という緊張感。
開き直るか開き直らないか微妙な状態にあるヒステリー女とでも言えば分かるだろうか。
どっちにころんでもおかしくない狂気と正気の中間状態。
あの緊張感がカーブル全体に漂っている。

今日はカーブル在住のWFP(国連世界食糧計画)職員にカーブル全体を案内してもらった。


僕は言葉を失ったよ。
こっぱみじん、ぐちゃくちゃ、ぼろぼろ、むっちゃくちゃ、はちゃめちゃ。
どういう形容詞をもってしても、この破壊の様子は表しきれない。
全ての建物がことごとく徹底的に破壊され尽くして街全体が瓦礫の平原と化していた。
中央アジアのパリと呼ばれていた美しかったであろう街が、
何百年も前に建てられた貴重な建築物が、
ただの石ころと土砂になっていた。
何キロも何キロもそんな光景が続く。
そんな光景の中を見て回っているうちに、胸が痛くなってきた。
レトリックで書いているのではなく文字どおり左胸がギューッと苦しくなってきた。
単なるタバコの吸いすぎかもしれないけど、
でも一種の懐かしさに似たようなこの痛い感情はタバコの吸いすぎとは少し違うように思えた。
僕が感じたこの変な苦しさは一言でいえば「喪失」という感情ではないかと思う。
誰でもがそうであるように僕も今までにいろんなものを失ってきた。
どれといって特定はできないのだけど、
昔々のずーっと忘れていたようなあの喪失感がまとめて甦ってきたような感じであった。
妙な懐かしいような臭いがこの感情にくっついてきたのはやはりこれが古い昔の記憶につながっているからだろう。
どれがどれだか、なんの喪失だか考える気もしないけど、
実際の経験が底の方にあるということだけは意識せざるを得なかった。
ああ!懐かしの喪失。

僕の表情はかなり暗かったのかもしれない。


あるいは気がふれたようにニコニコしていたのかもしれない。
またあるいは目に炎が映っていたのかもしれない。
UNのランドクルーザーを運転しながら、
ガイドのようにあちらこちらを説明してくれていた、
金縁・逆三角形のサングラスがよく似合う黒人のWFP職員がちらちらと僕の方を見ながら、
怒るなよと言い始めた。
「えっ?What the hell are you talking about,man ?」
「気をしずめろよ、ブラザー。怒るなよ。この光景を見たら、誰もがまずショックを受ける。
そしてその後に来るのが怒りだ。怒りが沸いてくる。怒りにまみれる。
でもな、ブラザー、怒ってもむだだ。疲れるだけなんだ。
気を静めろ。そして現実を受け入れろ。これが現実だ。
すべてが無くなったんだ。すべて、すべて、すべて!
全部無くなったんだ!なくなったんだよ!ブラザー!
Gone ! Gone! Gone!  All gone!」
明らかに彼は怒りにまみれていた。人間は喪失の後、怒りにふるえる。
それも古い記憶にあることだった。喪失とその後の怒り。
二つの感情を思い出した一日だった。

アフガニスタン出張中は国連のスタッフハウスという所に泊まる。


これは国連の経営する宿屋で、カーブルではここだけが治外法権で酒が飲め、
そして女性が顔を世間にさらすことができる。
ここのバーに夜な夜な各国NGO職員、国連職員、ジャーナリストなどが集まってきて酒を飲んでいる。
ほとんどアル中らしき人物もいる。
なぜかフランス人がやたらと多い。
アメリカ人が劣勢に回るとは珍しい。
国連のデマイナー(deminer=地雷除去屋)達はよく飲む。
デマイナーは各国の軍人で構成されていて、
みんな身体がごっつくて気っぷのいい奴だ。
インテリぶったEUの職員なんかとは気が合わないみたいで
お互いにバカにしあったようなトゲのある会話をたまにしている。
フランス人が多いのはフランスからNGOがたくさん来ているせいだ。
みんな若い。
みんな英語がむちゃくちゃ。
みんな気負ってる。気負い過ぎて国連職員をむかつかせたりしている。
しかし、こんなところで住んでるだけでも偉いと思う。
20代前半でこういう経験をする若者がいっぱいいる国には日本は逆立ちをしてもかなわないよ。
そう言えば、日本の評判は相変わらず悪い。
悪いというのは憎まれているというのではなく、小馬鹿にされているという意味で。
いったい日本は何をしてるんだ、誰も来ないじゃないか、大使はどうした、大使は!
と冗談めかしてだがはっきり僕に言う人もいる。
ほんとにそうだよなと思う。日本の外交官は誰もアフガニスタンに入ってこない。
入りたいと思っている人もいるのだけど、安全がどうとかこうとかで、
めたらやったら面倒くさいのだろう。
アフガン援助に日本はかなりお金を出しているはずなのだけど、全然知られていない。
ほんの少ししか出してない国がうまく宣伝しているのでよく知られている。
EUの旗やマークなどアフガニスタン中で見ることが出来る。(注1)
明日はカーブル市内でアメリカの外交官二人と会う。
一人はワシントンから来て、もう一人は在パキスタンのアメリカ大使館から来る。
二人とも女性だ!ああ、なんという違い!
アメリカ政府は女性外交官を平気で送り込むというのに、日本は何をもたもたしているんだろう。(注2)

地雷除去野郎達は言う。


スマートでかっこいい国連専用機に乗っていては何も見えない。
イギリスがなぜかくもこの地域の植民地化に手こずったか、
ロシアがなぜアフガニスタンを抑えきれなかったか、
ターリバーンがなぜ容易にカーブルに突入出来たか等など、
車で走ってみないと実感がわかないだろうと。
僕はその言葉に乗ることにした。
帰りは飛行機に乗らず地雷除去チームのランドクルーザーに便乗して帰ろう。
カーブルから国境までは全速力でとばせば7時間で着くらしい。
国境を越え、有名なカイバル峠を越えてペシャワールに着けば一泊する。
そこからイスラマバードまでは5時間で着く。
地雷を踏まずに無事帰れたら、この手紙を出せるでしょう。
というより、僕は今出国ビザがとれなくて出国できない状態であった。
明日はこの街を破壊しつくして突入したターリバーン政権の「外務省」とやらに交渉に行く。
世界のどの国からも承認されていない政府を政府と呼ぶのはおかしいのだけど、これも現実なのだ。
他の政府らしきものがなくなってしまったのだから。

なかなか眠れない。


効かない睡眠薬に怒る。
WFPの彼のアメリカ訛りのガーン、ガーン、ガーン(Gone ! Gone! Gone!)
という声が耳から離れない。
I wanna be gone, too. おやすみ。

                                                                                                   From Kabul,  10.05.97

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(注1)

後で確認したところ、
アフガニスタンに入った日本の外交官がいないわけではなかった。
事実として間違っていたので訂正しておきたい。
また、6月中に日本の外交官がヘラート及びカンダハールへ行くことも
予定されているのでそれも付記しておかなければならない。
但し、そういう事実にもかかわらず、ここの趣旨にいっこうに変わりはない。
日本のプレゼンスが圧倒的に低いということがここで言いたかったことである。
なお、「大使はどうした!」などと言っていたのはドイツの外交官であった。
どの国も、このような状況の場所に大使あるいは大使級の高官を送ることがないのは
誰もが承知しているので、これは冗談であると判断できる。
(注2)私に限らず、このようなところで仕事をしている者なら
誰もが欧米の外交官及びジャーナリストなどからの接触を頻繁に経験するが、
そんなことをしている日本人には出会ったことがない。
それが欧米の外交官やジャーナリストらの情報収集のどん欲さが
日本とはかなり違うレベルまで達していると感じる原因である。
こういうほとんど見境のないどん欲さのようなものを
日本に期待するのは無理なのだろうか。

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