カーブル便り第二便(五月十七日)
                                                         
土嚢を1万個買った。3500ドル。
地上2mの高さに積み上げ事務所の窓がある部分を覆う。
事務所の敷地はかなり広大で建物は芝生や家庭菜園に囲まれ、
その回りを地上約3mのコンクリートの壁が囲んでいる。
その中の建物をさらに土嚢で囲むのだ。
さらに美しい芝生をぶち壊して防空壕を作る。
排気口など完備したちゃんとしたやつだ。
これに7000ドル。 携帯無線機4つで2000ドル。計12500ドル(150万円くらい)。
これがIOM(国際移住機関)のカーブル事務所開設につき安全対策にかかる費用。
これらは国連のセキュリティー担当官のアドバイスに従ったもので、 ケチろうったってどうしようもない。

日曜日に反ターリバーン勢力の一派の空襲情報が入り、国連機も赤十字機も全便キャンセルになった。
その日の夕方かなり大きな地震で国連のスタッフハウスが揺れた。

イラン東部の大地震の余波だろうか。

一生の間に土嚢の買い物をするなんて想像もしなかった。
防空壕の設計図を検討するなんてことも、空襲の情報を無線機で追うなんてことも。
翌々日、朝5時に起きて6時にランドクルーザーでUNスタッフハウスを出た。
国連のロードクリアランス(道路の安全確認)がとれない。
が出発した。
午後2時までに国境を通過しなければいけないという情報が入り、急ぐ。

一行はスウェーデン人の軍人が一人、そのアフガン人の部下が一人、 アフガン人ドライバー、そして僕の4人。
車体に大きくUNと書き、青い国連旗をなびかせて、 無線機用の巨大なアンテナをつけて走る。
我々は人畜無害ですよ、皆さん、攻撃しないでよ、皆さん、 と車が全身で訴えているみたいな感じ。


道路ははちゃめちゃに壊れていた。

爆撃や対戦車地雷の爆発のせいだという。
破壊され放置された戦車の横を走り抜けていく。
といってもまっすぐに走れるわけはなく、穴凹をよけながら、飛び跳ねていく。
むち打ちにならないように常に前方の道路を見て、 動きを予測しながらバカ揺れに身体を合わす。
ずっとドアの上のベルトを握りしめているので指が痛くなり、 肘から上がしびれてくる。
胃の中のものがかき回されてのどまで上がってきて味がする。
ちょっと口に指を入れたらすぐに吐けるだろうな、気持ちいいだろうな、なんて考える。
だんだん何も考えなくなってくる。
人の声に反応するのが面倒くさくなってくる。
視線を動かすことが少なくなってくる。
ずっと同じ方向だけを見ている。
ただ揺れる画像が視界に入ってくるのを受動的に受け入れているだけ。
ああ、僕は疲れているのだなとどこか遠くの方で考えている気がする。

国境を越えた街ペシャワールに着いたのは、ちょうど12時間後、午後6時だった。
友人の家に予告もなく駆け込み、砂まみれのままシャワーも浴びず、 倒れ込み寝てしまった。
翌日、僕は1分遅れで集合地に電話した。誰もいない。
集合地に10分遅れで到着した。
車は去った後だった。
ウスノロは死ね。
これでいいのだ。
さすが軍人、ちゃんと原則を守っている、と感心した。
間抜けはしばしば人に迷惑をかけ、被害を増大させる。
それを防ぐためには間抜けは見殺しにするべきである。

飛行機は夕方の一便が残っているだけだ。待てない。
イスラマバードまで行くタクシーを探した。幸いすぐ見つかった。
大阪・名古屋間の距離くらいだろうか。 この際、費用のことは言ってられない。
僕はイスラマバードに電話をし、到着時間の変更を告げ、タクシーに乗った。
下級公務員の約半月分の給料を払った。

イスラマバードに到着し、事務所に寄り簡単に連絡事項を済ませ、
わが家に着いたのはカーブルを出発してからちょうど36時間後だった。  

                                            17.05.97   From Islambad