<インドなら誰でも知っている>

 パキスタンへ行った。

 世界で唯一の被爆国である日本の国民代表として、核の恐ろしさを知らないパキスタン政府首脳に、核戦争の悲惨さを訴えに行ったのだ。

 と、いうウソをまだ思いつくはずのない4月末のことである。渡航の目的は実兄の結婚式。お相手はパキスタン国籍のクリスチャン。超マイナーな存在だ。ちなみにムスリム女性は非ムスリム男性と結婚することはできない。愛を貫こうと思えば、男性が改宗するか、駆け落ちして女性の部族から追われて銃殺されるか、どっちかである。どっちにもならなくて、よかった。とりあえず平和な国際結婚だ。核や戦争とは無縁である。

 ところで、パキスタンという国は地味だ。

「パキスタンへ行くんです。」と言うと、

「なんで、又、そんなとこへ?」と必ず相手の眉間にしわがよる。

これが「ニースへ行きます。」とか「ギリシャへ行きます。」とかだったら

「結構ですね。」だが、パキスタンという国は、結構ではないらしい。

「兄の結婚式で。」と言うと、相手は、なぜかほっとした表情になる。ほっとすると、ちょっと立ち入ってみたくなる。

「お兄さんはパキスタンでお仕事を?」

「はい。」

「青年海外協力隊か何か?」

アジア・アフリカといえば青年海外協力隊と相場が決まっているらしい。

「いえ、○○○で×××の○○○をアレしたりコレしたりしているんです。」

相手はなぜか不機嫌な顔になる。なんだかよくわからないのだ。あわててつけたす。

「まあ、青年海外協力隊と似たようなもんですけど。」

再びほっとした表情に戻る。

「大変ですね。」

額に汗して井戸を掘っている兄の姿を思い浮かべているのだろう。

 で、出発前の周囲の反応から、平均的なパキスタンのイメージを50字以内にまとめると、次のようになる。

「貧しくて、文化程度が低くて、昔は確か『東』とか『西』が頭にくっついていた、どこか遠い、遠い、遠〜〜い国」

 完璧な認識だ。どこにも間違いはない。実際、国民一人あたりのGNPは(最近、GDPを使うのが流行っているが、パキスタンのGDPは調べがつかなかった。GNPもGDPも変わらないのだろう。)は日本の約100分の1で、国民はみんな貧しいし、一部エリート層を除くと3人に2人が読み書きができないから、文学はだめだし、ステレオが普及していないから音楽もだめだし、絵画・彫刻はイスラーム法に抵触するものはだめだし、そんなこんなで、高度な文化が花開いているとは言い難いし、1971年までは東パキスタンと西パキスタンに別れていたのも事実だし、関空からパキスタンの玄関カラチまでは、正味11時間も飛行機に乗らないといけないから、確かに遠い、遠い、遠〜〜い国だ。

 あと、つけ加えるとしたら、市内に電車がなくて、交通手段がパスとタクシーとロバだけだということや、ポリスが勝手に人や車を止めて金を徴収しているとか、前もってホテルに予約を入れておいても部屋があったためしがないとか、チェックインした荷物がちゃんと飛行機に積み込まれていたらもうけものだとか、そういうささいなことぐらいだ。 

 そんなわけで、パキスタンは知名度が低い。その点インドはえらい。「インダス文明」は歴史の教科書で不動のポジションを獲得している。モヘンジョ=ダロや、ハラッパーはインドではなくパキスタンにあるのに・・・・と今更ぐずぐず言ってみても、もう遅い。既得権の問題だ。ちょっと違うが。その上インドはお釈迦様とかガンジーとかいう超有名人を輩出している。それしかないのか、という気もするが、まあいい。

 で、帰国してちょうど1週間目の朝。

「インド核実験!」の大見出しとともに、インドのパジパイ首相のカラー写真がでかでかと一面のトップを飾った。私はその写真に強い衝撃を受けた。

 なんと性悪そうな・・・じゃなくて、すわ印パ戦争か、だ。

 案の定、一ヶ月も経たないうちにパキスタンが後追い自殺、いや実験を強行し、日本中が、反戦、反核、反印、反パキ、飲めや歌えの大騒ぎとなった。

 3年前の再現だ。あの頃、「フランス」と名のつくものは、何でもかんでも味噌もくそも眉をしかめられたものだ。フランス旅行は取りやめよう!フランスのブランド商品を買うのはやめよう!フランス・ワインを飲むのはやめよう!フランス語を学ぶのはやめよう!フランス人とつきあうのはやめよう!とは言ってなかったが、一部では、フランス人悪魔・鬼畜説まで流れていたとか、いなかったとか。

 あの時もあっと言う間に騒ぎは収まってしまったが、今回は、もとが地味な国だけに、忘れ去られるのも早い。二週間もすると、人々の関心はすっかりワールドカップに移ってしまい、もはや誰も「パキスタン」の「パ」の字も口にしなくなった。

 しかし、毎度、毎度、どうしてこう「核」と聞けばとりあえず「反対」と叫んで、それで事足れりの「お手軽日和見平和主義的正義の味方」が多いのか。「核」は危ない、「戦争」は悲惨だ、ぐらい人に教えてもらわんでも誰でも知っている。それを「一人一人の声は小さいけれど、みんなで声を合わせれば平和への大きな一歩になる」、って西川きよしかお前たちは。この際、新宿駅前の雑踏で「核実験に抗議する学生」という垂れ幕を下げて、通行人相手にうだうだ演説をやってた学生さんたちには、インドとパキスタンが国境をはさんでにらみ合っている、例のカシュミール地方へ飛んでもらって、軍隊・警察・武装住民三つどもえの銃撃戦の中で、演説してもらいたいものだ。

 「戦争はいけません、戦争は。仲良くしましょう。平和が一番ですよ。核は捨てましょう。武器もすてましょう。僕たちなんか丸腰ですよ、丸腰。丸干しじゃあないですよ。こちらが武器を持ってなければ、相手だってほら・・・撃たれちゃいましたね。」

 まあ、そういうことだ。どういうことだ。そうそう、無名だったパキスタンが一躍トップスターにのしあがり、一瞬のうちに忘れ去られる、の話だった。長い前置きだったが、それが今回の私の旅行とどういう関係があるのか、というと、実は何の関係もない。いきなり身内の結婚式の話というのもどうかと思って、ちょっと時事問題で味付けしてみたが、どうだ。