<ラクダは海の人気者>

 満腹をとっくに通り越して、もうどこにも行きたくない気分になってる私たちの思惑などどこ吹く風、職務に忠実なタクシードライバーは、涼しい顔で私たちをカラチ観光名所へと運んでゆく。

 最初は市民の憩いの場としても有名なクリフトン海岸だ。憩うといっても、海水浴の習慣のないパキスタンの人は、波打ち際でちょびっと足をぬらしたり、海岸をあてもなく歩いたり、ぼーっと海を眺めたりしているだけだ。海岸を埋め尽くすパラソルも、ハイレグのお姉ちゃんも、サーファーの兄ちゃんも、イカ焼きの屋台も、かき氷屋も、貸し浮輪屋もスイカ割りも、ない。地味である。

 その代わり、ラクダがいる。数頭のラクダが海岸の橋から橋まで走り、観客が金をかけるのだ。これは「競ラクダ」と言って、市民の間では人気の高い娯楽の一つだ。日曜ともなると、スポーツ新聞片手に赤鉛筆を耳にはさんだ「競ラクダ」ファンが、ぞくぞくと海岸におしよせ、海岸に来られない人のために、場外ラクダ券売場も設けてある。レースのあとは、はずれラクダ券や、空き缶、食べかすが周囲に散乱し、付近の住民からは苦情が絶えない。その上、「競ラクダ」にのめり込んで借金、夜逃げ、一家離散の果ての自殺が、社会問題になりつつあり、政府は頭を痛めている・・・

 本当はラクダに乗って散歩をする、それだけだ。それだけ、と言ってもバカには出来ない。この世の中には、熊にまたがってお馬の稽古をしたことはあっても、ラクダに乗って海岸を散歩したことのある人間は少ないはずだ。

 私たちは「月の〜、砂漠を〜」と口ずさみつつ、優雅なラクダ・ライドを満喫した、と思った人はラクダの素人だ。プロでも恐いが。ラクダは想像を絶するほど背が高いのだ。立っている人の頭ぐらいのとこに背中があったりする。やっとのことでまたがったその背中が、一歩踏み出すたびに50センチほど上下する。今、気がついたが、私たちの日常にあるのはたいてい横揺れだ。同じ力でも横揺れは結構堪えられるが、上下に揺らされると思いっきり恐い。ただでさえそれなのに、何を思ったかラクダが突然疾走しだす。みんな恐怖に顔をひきつらせ、「やめろ〜!」「走るな〜!」「止まれ〜!」と日本語と英語で口々に叫び、そのいずれの言語も解さないラクダ引きの兄ちゃんたちは、私たちが歓声をあげているとでも思ったのか、さらにスピードをあげて走り出し、このままでは生きて帰れんと判断した一行の最年長者が、「スト〜〜〜ップ!!!」と声を限りに叫んだ。そのすさまじい声と形相に、さすがに「喜んでいない」ことを察したラクダ引きの兄ちゃんは、手綱を引き、ラクダを止める。

 「一体どうしたっていうんだ?この先に面白いところがあるんだぜ。」

 とか何とか言っている。しかし、もう十分だ。堪能した。さあ、私たちを元の場所に連れて帰ってくれ。と、これだけのことが伝わらない。言葉の壁というより、心の壁の穴だ。気分的に納得できないらしい。それもそのはず、ラクダに乗ってまだものの10分もたっていないのだ。料金は最初に交渉して決めてあるから、いくら乗っても同じ。だからラクダ引き兄ちゃんには何の下心もない、と思う。ひょっとしたら、ラクダを思いっきり疾走させて、ひとけのない辺りまできたら、フラフラになった客の身ぐるみをはいで、おもりをつけて海の中に放り込んでしまうおう、って魂胆かもしれん。いずれにしろ、この恐怖の縦揺れ走行だけはもうごめんだ。

 ラクダ・ライドをもっと楽しんでもらおう、その気持ちはよ〜く分かるのよ、だけどね、私たち旅行者って、ほら、時間がないでしょう、ラクダがつまらなかった?い〜〜え、とんでもない、こんな苦し、いや楽しい思いをしたの久しぶりだって、ねえ、みんな、だから、ね、あっち、あっち、むこうじゃなくて、あっちへ帰りましょ。

 自分一人ではラクダから降りることさえできない、囚われの身の私たちは、必死で訴え続ける。

 「ゴーバック!ゴーバック!帰してくれえ〜〜!」

 怪訝な顔をしながらも、なんとか納得したラクダは、いやラクダ引き兄ちゃんは、ようやく元の場所へとラクダをUターンさせてくれた。やれやれ。

 ラクダの背中に少し慣れてきたせいか、帰りには周囲を見渡す余裕もでてきた。ふと連れの一人のラクダの方を見ると、一人一頭ずつ乗ったはずのラクダの背中に二人またがっている。連れの後に座っているのは、なんと、徒歩でずっと私たちについて来ていたタクシードライバーだ。いつのまに乗っかったのやら。さっきまでずっと無表情だったのに、ニコニコと子供のように顔をほころばせている。平和だ。