<急いては事をし損じる>

 クリフトン海岸をあとにして、他の名所を二カ所まわっているうちに、結婚式の時間がせまってきた。私たちはホテルに戻って大急ぎで準備をし、大慌てで会場となるホテルに向かったが、それでもパーティ開始時間を5分ほど過ぎてしまった。新郎の親族が結婚式に遅刻するとは、なんたる失態!おまけにホテルの入り口では新婦のお母さんが、仁王立ちになって、私たちの到着を待ちかまえている。アッチャー、遅刻してあせっているところに、いきなり兄嫁となる女性のお母さんと初顔合わせとは。

 ええっと、とりあえずナイストミーチューだな、いや、その前に遅くなってアイムソーリーか、「本日は御日柄もよく」って、英語でどう言うんだ?

 普段でもかなりあやしい私の英語は、無惨なまでに中学生英語と化してしまった。トホホ。

 とにかく急げ。お母さんに案内されて宴会場の前まで来ると、私たちは出席者一同の顰蹙と非難のまなざしを覚悟して、緊張に体を堅くした。みんなが注目・・・・・あれ?

 宴会場の中は人もまばら、舞台の上では楽器の運びこみの作業中。ありゃりゃ、司会者はどこだ?80人の招待客はどこへ消えた?新郎・新婦はいずこへ?狐につままれたとは、このことか。とにかく座って落ち着こう。私たちは空いている小テーブル(ほとんど空いていたが)の一つに陣取り、誰かが何かを言いに来てくれるのを待った。だが、誰も近寄ってこない。会場内を見渡すと、3つ4つのテーブルに数人ずつ人が座っている。不審そうな顔をして、きょろきょろしているのは私たちだけだ。彼らはのんびりと雑談している。 そうか、結婚式はまだ始まっていなかったのか、そんなに慌てなくてもよかったんだ。私たちは一気に緊張を解き、汗をふきふき雑談すること20分。誰も来ない。何も出ない。何も始まらない。人間は、というより日本人は、理由も分からずただ待たされるという状況に、ことのほか不安を感じるらしい。そして、それが怒りに変わるのに、さして時間はいらない。

 パーティ開始「予定」時刻を30分過ぎると、私たちはしだいに無口になり、ついにはみんな黙り込んでしまった。その上、喉が乾いている。空腹よりもつらい。やがて1時間。私たちのテーブルだけがしんと静まり帰っている。他のテーブルの招待客は、相変わらず急きも慌てもせず、楽しげに歓談している。それにしても喉が乾いた。と、その時、ホテルの従業員らしき男性が、生ビールのサーバーのようなおおきな銀色の物体を抱えてやって来るではないか。もちろんビールなわけないが、蛇口がついている。とりあえず飲み物であることはまちがいない。「やった!」私たちは思わず歓声をあげた。ガラスのコップと銀色の物体を残して男性が立ち去ると、私は即座に走り寄り、コップを握りしめ、蛇口をひねる。

 こ、こ、こ、これは!!!!!!!!!

 水である。水で何が悪い。待望の飲み物じゃないか。しかしなあ・・・

 日本の結婚式、日本のパーティと比べるからいけないのだ。そうだ、ここはパキスタンだ。「水」たって、水道の水なんかじゃない、たぶん。「飲める」水だ。「飲んでも大丈夫」な水だ。飲んだって、歯をみがいたって、顔洗ったって、下痢しない水だ。貴重な飲料水だ。ほら、みんなも満足気に飲んでるじゃないか。

 そうやって自分に言い聞かせながら、ちびちび「水」を飲んでいると、ひょっこり、タキシード姿の兄が一人で会場に現れる。誰も気にとめない。招待客の一人が入ってきたか、ぐらいの反応だ。兄も、何か場違いな所にやってきた、という様子で、新郎・新婦用に設けられた特別席に腰をおろす。一人で手持ち無沙汰にしているので、私は近づいて行って、声をかけた。

「何時になったら始まるの?」

「僕の方が知りたいぐらいだ。」

 だめだ、こりゃ。

 なにしろ兄も初めてである。兄の話では、何時から何があって、何をどうして、ああしてこうして、といった段取りを、誰に聞いてもきちんと答えてくれないと言う。パキスタンでは分刻みのスケジュールなど想像もできないことらしい。恐るべしパキスタン、あなどりがたしパキスタン。いや、感心している場合でない。

「水しかでないの?」

「えっ?水だけ?」

 ほどなく、コーラとジュースが運ばれてきた。兄が頼んでくれたらしい。その時のコーラのうまかったこと。私は、シュワシュワと涼しげな泡をたてるコーラをみつめながら、人間は定期的に飢餓感・欠乏感を味わうことも必要かもしれない、などとは少しも思わず、30時間前にバンコックで飲んだ生ビールの味を懐かしんでいた。