<待てば海路の料理あり>

 徒労感と疲労感でぐったりして宴会場に戻って来ると、私たち日本人チームのメンバーが2人いなくなっていた。ホテルに帰ってしまったらしい。さもありなん。時間は10時!何もすることがなく、いつ果てるともしれない、この「空虚な時間」は、段取り王国日本では、ちょっと味わえない苦行タイムだ。

 日本では、事故とか天災によって列車が遅れたり、不通になったりすると、やかましいほど構内放送が繰り返される。しかも思い切り低姿勢で「御迷惑をおかけしました」だの「まことに申しわけありません。」だのを連発する。2、3分おきに電車が来る大阪環状線で、「本日は列車が3分遅れましたことを心からお詫び申し上げます。」なんて放送があったりすると、もうわけがわからない。たかだか3分の遅れでそこまで卑屈に謝ることないだろう。自分の乗った列車が、遅れてやって来た一本前の列車だからって、誰が怒るんだよ。

 列車の遅れといえば、以前、フランスのある地方都市からパリに向かっていたところ、突然列車が停まり、何の説明もないまま1時間ほど停車し、やがて何事もなかったように又動きだしたことがあった。その間、乗客はみんな悠然と新聞を読んだり、おしゃべりしたりしていた。同じようなことがイタリアでもあった。人を待たせることを屁とも思わない国民は、待つことにも辛抱強いようだ。

 余計な話はさておき、パーティである。宴会場にもどった私は、すぐさまタクシーに飛び乗り、宿泊しているホテルに引っ返した。帰ってしまった連れを迎えに行くのでなない。ホテルの一階にあるコンビニに、ノンアルコールビールを買いに行くのだ。ちなみにこのコンビニには、食料品を初め、日用品、化粧品、雑誌、絵はがき、犬の餌まで売っているが、売場面積の約4分の1を占めるのがドラッグコーナーだ。天井まである棚にビッシリと並んだ薬、薬、薬。これだけあれば、どんな病気にかかっても大丈夫だわい・・・深く考えるのはやめよう。

 袋一杯にしこたまノンアルコールビールを詰めて戻って来ると、会場の端の長テーブルにぞくぞくと料理が運びこまれている。

 色とりどりのサラダ、羊のカレー、チキンの煮込み、豆と野菜の煮込み、名称の分からない色々な料理、ピラフ、ナン、そしてデザートには大きな焼きプリン、アイスクリーム、イチゴのケーキ。

 これだ。これを待っていたんだあああ!

 私たちは感涙にむせびながら、本場パキスタン料理にむしゃぶりつく。どれもこれもメチャウマである。どうでもいいが、招待客がやたら増えている。そうか、時間をみはからってやって来たんだな。それにしてもいいタイミングだ。これがパキスタン流、正しいパーティの参加の仕方、だったのだ。

 その間、音楽もイベントも何もない。ただただ、ひたすら食べるのだ。そりゃそうだ。うまい料理に夢中になっている時に、誰が、判で押したような祝電やら、上司のくだらんスピーチやら、下手くそな歌を聞くものか。パキスタン人だったら、「料理がまずくなる。ひっこめ、おたんこなす!」と言って怒りだすかもしれない。

 日本の宴会やパーティーをつまらなくしているのは、そういう快楽へのどん欲さ、みたいなものが欠けているせいかもしれない。誰も喜ばない、誰も楽しめない、はた迷惑なだけの余興でも、素人のすることなら何でも許してしまう。それがまちがいのもとだ!素人だからって、甘えてもらっちゃ困る。無理矢理人に見せる、という暴挙に出る限り、確実に笑いをとるか、泣かせるか、感嘆させるか、それぐらいの覚悟でやってもらいたいものだ。いや、ほんと。

 とかなんとか言ってるうちに、料理陳列台と各テーブルを往復する招待客の姿も、さすがにまばらになってきた。そこで、今度はタクシーの運転手たちの番だ。自家用車で来ていない客は、タクシーで来ているのだが、帰りに又乗るので、待たせてあるのだ。

 ええっ、そんなぜいたくな、その間どんどんメーターが・・・心配しなくてもメーターはない。何時間いくら、一日いくらで契約するのだ。だから、昼間、市内観光した私たちのタクシーの運転手も、まだ外で待っている。待っている、と言っても車の中で何時間もおとなしく待っているわけではない。すぐに車をはなれてどこかに涼みに行ってしまったり、油断するとラクダの背中に乗っていたりするので、いざ乗ろうとすると探し出すのに苦労することもある。このパーティの出席者が雇ったタクシーの運転手たちも、ホテルの中庭でくつろいだり、廊下の肘掛けイスに座ったりして、それぞれ好き勝手に時間をつぶしていた。その運転手たちが、宴会場に招き入れられ、御相伴にあずかっているというわけだ。一つのテーブルに固まって、運転手たちが楽しそうに食事をしている。妙といえば実に妙な光景だ。招待客とは一目で区別できる。そこだけ、全員イスラーム服だからだ。

 最初、「お祝い事なのだから、運転手さんもみんなと一緒に楽しんで下さい」的発想かと思って、浅はかにも感心してしまった。なんとわけ隔てのない、なんと大らかな、と。だが、それは違う。大体、見ず知らずの人間の披露宴に混ぜてもらって料理を御馳走になるなんて、日本のタクシーの運転手なら御免こうむるだろう。何もそんなとこに混ぜてもらわなくとも、私生活に戻ればいつでも招待客の側にまわれるのだから。しかし、私たちが雇ったタクシーの運転手たちは、このようなパーティの主役になることも、招待客になることも永久にあり得ない、たぶん。