4.チラースは燃えている

 

 一夜明け、我々はいよいよイスラマバードに向かって帰路の途につく。途中、チラース、ナラーンで宿をとり、二泊三日の行程だ。来るときは飛行機でたった1時間だったのに、陸路だと三日もかかるのか。そりゃそうだな。山越え、谷越え、峠越え。石と岩の上をのろのろ走るんだもんな、な〜んて余裕風ふかしていられたのは最初の数時間。そもそも朝、我々を迎えにきたドライバーの言葉に不吉な前兆を読みとるべきだった。いつもなら朝食を済ませたらすぐにその日の目的地へと出発するのに、今朝に限って「昼過ぎてからゆっくり出発しましょう」なんて妙なことを言うのだ。まあ、急ぐ旅でもないから、そう言うんならそうしましょ。

 

 こうして、我々はギルギッドの町をあとにし、今夜の宿泊地チラース村へと向かう。1時間、2時間、ジープはカラコルムハイウェイを快調に飛ばしてゆく。天気は快晴、道路は良好、気分は最高。いや〜、夕べはどえらい目にあったけど、今日はいい調子じゃん。ドライバーさんもご機嫌で飛ばしているぞ。景色はいいし、天気もいいし、気温もちょうどいい・・・とは言えないか。変だな。さっきからどうも蒸し熱いぞ。気のせいか?などと考えているうちにも、みるみる気温は上昇してゆく。

 グオ〜、ゴゴ〜。窓のないジープの前後左右からは、とてつもない熱風が、怒濤の勢いで吹き込んでくる。まるで沸騰したやかんの蒸気をもろにかぶっているみたいだ。グエ〜、あ、あ、熱い。水、水〜。足もとに転がっているミネラルウオーターのペットボトルを拾いあげる。だめだ、熱湯になっている。だんだん呼吸も困難になってゆく。ぐ、ぐ、ぐるじい。やばい、このままだとほんとに死ぬぞ。インドなんかで毎年「熱波により死者何人」なんて記事が出ているけど、これってまさにそれじゃないか。おいおい、冗談じゃないぜ。ヒマラヤ山中で蒸し焼きなんていやだああああ〜〜。

 

 こんな状態がさらに2時間は続く。こうなると、よくしたもので、もはや思考力はゼロ。不安や恐怖を感じる感覚もゼロ。頭の中は限りなく無に近づいていく。ほけ〜。

 ぼんやりと定まらぬ視線をあたりにさまよわせていると、暗闇の中に点々と明かりが灯っている。ん?もう、山中を走っていない。町中に入っているぞ。そういえば熱風もやんでいる。ウオ〜、生き延びたんだあ!!

 

 ほどなくホテルに到着。ほっとした勢いで思わずドライバーにつめよる。

「一体、全体、あの熱風はなんなのよ?」

「モンスーンですよ、へえ。」

モンスーン?あの、小学校でも中学校でも高校でも社会の時間に必ず登場する、名前だけはつとに有名だが、いまいち実体のつかめない、あのモンスーン!!ちなみに手元の辞書で「モンスーン」を引いてみると、なになに「大陸と海洋の温度差によって起こる季節風」って、それはないだろう。あの、熱風地獄、恐怖と戦慄のモンスーン体験を、そんなさわやかな言葉でまとめてどうする。それにしても、ドライバーはえらい。真っ昼間にあそこを通っていたら、蒸し焼きどころかローストジープになっていたことだろう。お〜こわ。