人生貸借対照表

                                   1998.07.03

 先日、東京で会った叔父、といっても300人の会葬者を集めた方の叔父やのうて、バアチャンが死ぬまで面倒見とった方の叔父のこっちゃ。

通夜の後、この叔父と深夜まで酒を酌み交わしてたんや。

 

この叔父は大学卒業後、その当時の花形産業の人気NO.1の会社に入社し、結婚し子供二人出来たところまでは、一応順調やったんやろう。

その後、よくありがちな姑との同居問題で、ヨメはんがヒステリックになって来たんで、無理して金かけて家を改造し二世帯住宅みたいにして、姑とその一家とは台所も風呂も便所も全部別にした。

それでもヨメはんは納得行かずにとうとう子供二人を残して家を飛び出して行きよった。

ヨメはんは結婚してからも教師という職業を捨てていなかったので、自立して生きる事の出来る女性だったらしいが、やはり月々何某かの金は払っていたと思う。

これくらいやったらまだ、よくある話かもしれん。

しかしその後のその叔父貴の行動は俺の理解の範囲を超えている。

毎朝、早起きして息子二人に持たす弁当を作り、朝食を作り、掃除、洗濯をし、会社での出世は諦め、毎日定時で退社して息子達の夕飯を作る。

尚かつ、息子二人共、塾へ通わすだけではあきたらず、自ら高校受験用の勉強をして息子達の勉強まで面倒を見る。

そして、息子達は自分の希望通りに一応、一流と言われる大学に進学させ、それぞれワンルームを借りるというので、その仕送りもし、無事卒業させた後、それぞれ大会社に入社するところまでこぎつけた。

これが彼なりのヨメはんに出ていかれた男としての意地の通し方やったんかもしれん。

これで一応、家に対する責任からは免除されてもええはずなんやが、もうその頃には自分も定年退職の時期で、関連子会社に出向する事もせず、家で母親の面倒を見る道を選択した。その後は母親の為にメシを作り、ちょっと老人ボケがはじまってからは外出もままならず、ひたすら老人の世話をする事だけに時間を費やした。

どうや。思いっきり負債ばかりの人生やろ。

負債はまだまだあるで。

そんな父親に対して肝心の息子はと言うと、父親を軽蔑し、父親に面倒見てもらってた中学、高校時代も母親の所へ通い続け、しまいに成人して結婚する時には、父親用に親戚連中だけでの簡易結婚式を計画し、盛大な披露宴には母親の方を呼ぶ計画を実行しよった。

叔父の本音の気持ちはわからんが、かなり落ち込んだ事だけは容易に想像がつく。

何もかも捨て、負債ばっかり貯めてきた結果がこれかい、と。

その後も老人の面倒を見て、96歳で大往生するまで看取った。

 

さて、その後が問題や。

今度こそ、自分の時間というものが持てて、好きな事が出来る状況になったわけやけど、彼曰く、これから何してええかわからんのやそうや。

これまでの何十年間自分の為に時間を使うという事を放棄してきた結果、とうとう自分の時間が持てる様になった今、何に時間を使っていいのかがわからん、という。

 

長女でありながら葬式の最中に抜け出して、友達と会う算段をしていた俺のオフクロとは正反対の性格やで。兄弟やっちゅうのに。

オフクロが並の貸借バランスやとしたら、この叔父の場合は負債がどでかくなりすぎて債務超過をはるかに超えて負債の棒が南極を超えて地球の裏側を半周して北極までいって、元通りのところまで戻って来てそこで貸借のバランスが見事に一致した。

それも資産・負債双方ゼロで。

すごいバランスシートや。