歯医者

                              1998.07.18

朝、めし食うてたら、奥歯の詰めもんがポロッとはずれて落ちた。

奥歯に大きい穴開いてもうた。

歯は少々痛いくらいの虫歯が出来たって、歯医者なんぞにはいかんでもええ。

ほっといたらいつの間にか痛みは消えて行くもんや。

歯は削れば削るほどその歯は悪くなり後でそこがまた虫歯やと言われてまた削られる。

ここ数年間、歯医者には行ってないが今回だけは仕方が無い。

 

仕事先でこの近辺で一番評判のええ歯医者はどこ?

と数人にヒアリングして一カ所決めた。

歯医者では最初にアンケートっちゅうのを書かされた。

1.今回の来院で治療を希望するのは?

(1)全ての虫歯を治療する

(2)痛みのある歯だけ治療する

・・・・・

欄外に(9)詰め物がはずれた歯に詰める事だけを希望する。

を自分で追加して二重丸を思いっきり大きく書いて、

「削って欲しく無い」も追記した。

2.歯磨き講習を希望しますか?

(1)希望する

(2)希望しない

(2)の希望しないに◎をつけ、(1)は二重線で消しておいた。

 

中へ入ると、間仕切りで何カ所も仕切られ、何人もの人が治療を受けていた。

歯医者はおそらく十人以上いたと思う。

俺の担当の歯医者はわざわざ入り口まで迎えに来ていた。

「XX」と申します。宜しくお願いします。

やけにバカ丁寧な歯医者やな。気色悪い。

上着を脱ぐと、「これお掛けしましょうか」とまで言いよる。

「これ、取れたんではめて欲しいんですわ」

「その前に一度レントゲン撮りましょか」

なんで、歯に詰めもんするだけでレントゲン撮らなあかんねん。

「時間かかるんでしょ?」

「いいえ、全然気になさらなくていいですよ。すぐすみますからね」

言われるままにレントゲンルームへ行き、レントゲンの結果はすぐ出来てきた。

「はっはー。かなりあっちこっち虫歯になっていますね」

(それがどないしてん)

「それにだいぶ歯石が溜まってますね。歯の磨き方も変えないといけませんね」

歯石というたら歯医者は取らなあかんもんやと決めつけとる。

歯石っちゅうのは自然にでけたんや。

自然にでけたもんは自然のままほっとくんが一番に決まっとるやろうが。

根もとでしっかり歯を支えとるかもしれんやないか。

下手に取ってぐらついて来たらどないすんねん。

などと考えながら歯医者の言うままに口を空けているうちに、ウィーンという音が聞こえたかと思うとそのまま穴の開いた歯は削られ始めていた。

何をしてくれんねや、何を。

「ちょっと待ってくれ」の一言を言おうとするが、やつは口をゆすぐ機会を一度も与えず一気に堀り続けてしまった。

俺は痛みは感じ無かったが、しぶきが眼に飛んでくるので眼をつぶった。

一気に削りとった後、俺がよほどつらかったと勘違いしたのか

「痛かったですか。もうこれで、削るのは終わりましたからね」とぬかしよる。

文句の一つも言いたいところやが、一旦、削られてしもた以上、俺の歯はやつの人質になったも同然や。

やつはわざわざ出口まで見送ってくれよる。「お大事に」

なんちゅう歯医者や。

受付で。

「次の予約を入れますね。治療日と歯磨き講習の日は一緒の日がいいですか?別の日になさいますか?」

「治療日だけでいいです」

「別になさるんですね。じゃあX日はいかがですか?」

「X時XX分からならいいです」

「X時XX分ですね。では歯磨き講習はX日でいかがですか」

「そやから、最初のアンケートにも書いた様に講習なんぞは希望して無いんですわ」

「でも、カルテに書いてあるんですよ。たぶん先生が必要と判断されたんですよ」

なんの為のアンケートやねん。ええ加減にせーよ。

と思いつつも時計を見るともうすぐ打ち合わせが始まる時間や。

これ以上文句を言って、先生に聞いてきます、と10分以上待たされたらかなわん。

「じゃぁ、X日でいいです」

と言って第一回目は終了。

 

二回目

「これから穴の開いた下の歯の型を取りますが、その前に上の虫歯も治しておきます」

何?何をほざいとるんじゃ。

「いえ、最初に申し上げた通り今回の穴の開いた所を埋めて頂いたらいいんです」

「でも虫歯なんですよ。虫歯」

「それでも、今回は結構です」

と言ったとたん、やつの態度がガラリと変わった。丁寧な言葉使いも無くなった。

治療中の歯医者に態度を変えられるぐらい不気味な事は無い。

「おーい、型を取るからXX持って来てや。ちゃうやろ。XXや」

なんじゃ、こいつ。

「あかん、型とるのはまだ早いな」

と言ったかと思うと、穴の開いた歯をさらに削りよる。それも前よりかなり粗っぽく。

しぶきは眼に飛んで来たが、今回は眼をつぶらず、やつを睨みつけた。

やつは今回も一度も口ゆすぎの間を与えず、ひたすら削り続けよった。

おかげで、穴はもっと大きくなり元の歯はかろうじて「まだここにいるんですよ」という程度の姿になってもうた。

やつは「おーい、後の型取りはやっといてくれ」と助手に任せてさっさと消えて行った。

誰や、ここが一番ええ、と奨めてくれたやつは。

 

三回目

歯磨き講習など受ける気も無かったが、約束をすっぽかすのも俺の流儀に反してる。

やつが眼の前に現れたら、「歯磨き講習なんかしてもらわんでもええで」

と、一言だけ言って帰るつもりで行ったら、今回はやつでは無く、丸い眼がねをかけた女性が現れた。

歯科衛生士とでもいうのだろうか。

「歯磨きの前に歯石を取ります」

「なんで、歯石を取らなあかんのですか」

「歯石とは、そもそも・・・」

それから彼女の「歯石=我々の敵」論がえんえんと始まった。

まるで、かつてのバリバリの共産主義者に「なんで資本主義はあかんのか」を語らせたかの如く。

俺は彼女の話を一言も聞いていなかった。

その代わりにとうとうとしゃべる彼女を観察した。

彼女はキリっとしまった端正な顔立ちをしており、冗談なんか一言も通用しない様な雰囲気を持っている。

間仕切りの向こうで、患者と冗談話をしている看護婦達とは私は違うのよ、とでも言っている様だ。

一通りの演説を終えた後、彼女は看護婦に鏡を持って来させ、俺に口を空ける様に命じた。

鏡にはバカみたいにあんぐりと口を空けた無防備な表情の俺が映っていた。

「ここの歯の歯石がですね・・・」

そうか、彼女の演説はまだ終わっていなかったのだ。

ここで、自分のバカ面を見せる事も彼女の戦術だったのだろうか。

いつの間にか、彼女は機械で歯石を削り始めていた。

彼女の顔が眼の前にある。

こういう時は目を逸らすべきなのだろうか。

しかし、俺は彼女の目を見つめてしまった。

彼女が固くなって行くのがなんとなくわかる。

彼女の眼がねの奥にある目はかわいかった。

「口をゆすいでください」

と一呼吸入れる。

「この歯石削り、あと2回に分けてやりたいんですが」

どこの世界に歯石とるだけで3回も通わせる歯医者があるんじゃ、と思いつつも以外にかわいかった彼女の目に免じて

「あんまり時間が無いんやけど、あと1回くらいやったらかまへんよ」

と言ってしまった。

彼女が嬉しそうににっこりした。固い表情の彼女が初めて笑顔を見せた。

こうして歯科医と歯科衛生士と優柔不断な患者達によって、世の中から歯というものが削られて無くなっていくのである。