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目が覚めると別世界で、パキスタン人は努力も忍耐もものともせずに、私たちを中華料理に連れて行き、ラクダに振り落とされそうになりながら、結婚式に出席すると、酒なしでみんなが踊り狂って、大いに楽しかったの次第

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 朝目覚めると十時を回っていた。窓をあけると、聞いたこともない鳥の鳴き声と、ほら貝のような響き、歌ともお経とも思われる奇妙な声、それにむせ返るような暑気が部屋の中に入り込んでくる。日差しが強くあたり一面が真っ白に見える。木の葉さえ白く光って眩しいほどだ。目がちかちかしてくる。私は暗い部屋に顔を引っ込めると、目が慣れるのを待ってから、新聞を読み始めた。「街で銃撃戦、三人死亡」。カラーチーでの事件だ。三人もの死者が出る銃撃戦がつい昨日行われたのだ。そう信じ込んで、記事を読み進めると、驚いたことに銃撃戦は三個所で行われ、その各々にはまったく関連がなかった。要は、「昨日銃で撃ち殺された人は三名でした」という記事なのだ。日本での交通事故死亡者数と扱いが変わらない。その他にも、どこかの地域で長雨が続いて麦畑が大損害を被ったとか、イスラマバードで、ストを計画した公務員が片っ端から検挙されたとか、クエッタでタリバーンとそれに対立する部族との和平交渉が行われるとか、日本でなら、どれも一面に大見出しが出て、別の頁にも関連記事が出て、つまりは大騒ぎになりそうな出来事が、こともなげに、紙面の片隅を占めている。パキスタンでは何でも起こる。

 十二時近くになって、私たちはホテルの一室に集まり、午後の過ごし方を決めた。まず、正真正銘のパキスタン料理を食べて、それからショッピング。これが私たちの立てた計画だ。車はすでに義兄が手配してくれていた。後は計画を実行に移すのみだ、と考えるのは浅はかである。やって来た運転手は英語が全く話せなかった。おまけに二台頼んだのに、やって来たのは一台だけだ。「どうなってるんや」などど叫ぶのは野暮である。私たちはただ、冷静に、おろおろとして、顔を突き合わせて脇腹を突つきあい、日本人特有の薄ら笑いを浮かべた。とまでは行かなかったが、後一台車がやってくるのを待って、それから、食事に向かうという手順を運転手に納得させるのには一苦労だった。運転手が英語を話せなかったからではない。運転手についてきた通訳(おそらくはホテルの人間)が馬と鹿のあいの子だったからである。目の前に居るのが四人であるために、これなら一台で何とかなると言い張って聞かない。もう一人連れが居るという私たちの主張が、目の前に四人しか居ないという事実に遮られて、まったく理解できないのだった。パキスタン人は眼前のものしか見ない。

 結局、運転手に我々の予定をしっかり伝えるには、義兄の婚約者のお姉さん(Pさん)の助けを得なければならなかった。で、ようやく車が二台出そろうと、RさんとK、私とCちゃん、Hちんで分乗し、街中へと繰り出した、はずだったが、なにやら荒れ果てた郊外の方へ車が走って行く。で、数件のレストランを見て回ったのだが、パキスタン料理の店は見つからない。どうやら、運転手があまりレストランを知らないらしいのだ。「お前タクシーの運転手やろ、何でレストランぐらい知らへんねん。しっかり勉強せんかい」などと突っ込んでも無意味だ。ウルドゥー語に営業努力という文字はないからだ。そもそも、努力という言葉があるかどうかも怪しい。忍耐などという言葉を教えようとすれば、きっと538万9543億万6千684光年は時間が必要だ。だから、運転手たちは一通りあたりを走り回ると、私たちを中華料理屋の前に降ろしたのだった。ただ、この顛末には、実はRさんの空腹に対する忍耐不足が多分に影響していたとの憶測もあるが、これはこの際不問に処すことにする。というのも、中華料理とは言っても、パキスタナイズされていて、我々の要望は十分満たされたばかりか、Rさんが全部お金を出してくれたからだ。パキスタンは金がどんちゃん騒ぎをする国なのである。

 さて、次はショッピングと私たちはきおい立った。とにかくなんか買うぞ、と決意しつつ立ち上がったのだったが、いかせん時間がもうあまりなかった。R氏が言った。「暑いからもうやめましょう」。「パキスタンが暑いのは当たり前や」などととは誰も言わなかった。本当に暑かったし、それに、浜辺に行くと、ラクダがいて、それにまたがってしまうと、なんやら訳もなく、充実感に浸ってしまったからだ。はっきり行ってラクダは恐かった。別に噛むわけではない。もちろん、口の前に手を差し出したらどうなるかは分からないが、少なくとも、背中に乗っている異物を振り落とそうなどとはしない。だが、それでも無茶苦茶揺れるのだ。ラクダが軽く走り出したら、脳天から十二指腸が飛び出しそうなほどだ。おまけに私の乗ったラクダの鞍は傾いていた。乗っているときにも、妙に傾いてるなと思ったが、後で写真を現像したら軽く30度は傾いていた。どうりで、降りた後、がにまた歩きが直らなかったはずだ。落ちないように内股をふんばっていたのだ。おまけに、その鞍は湿っていた。乗っているうちにパンツまで湿って気持ちが悪かった。それでも、ラクダに乗ったのは始めてだったので、妙に感動してしまった。良く考えてみれば、動物にまたがるのはこれが二回目だ。一度目は小学生の時、猫にまたがってみたが、ぺしゃんこになってしまった。二回目にまたがったのがラクダだ。こういうのは普通珍しい。生まれて二回目にまたがった動物がラクダだったという人に私は今まで出会ったことがない。

 さて、そうこうするうちに車は名所旧跡に向けてひた走った。たどりついたのはパキスタン建国の父ジンナーの霊廟。墓といっても、祖国の父の墓だから凄い。立方体の上に半円を載せた巨大な構築物の上にウルトラの父が載っている。いつもきれいに清掃されており、中に入るには靴を脱がねばならない。靴を脱がずに霊廟に入ろうとすると、銃を持った衛兵たちが駈け寄って来て、いきなりホイッスルを吹く。大抵の人はこれで腰を抜かすと思う。ただ、兵士たちは別段恐い人ではない。一緒に写真をとってくれと頼んだら、ちゃんとオーケーしてくれた。

 で、続いて更なるイスラム教の名所へ。

 最初、私たちは、ふむふむ、イスラム教もキリスト教建築を取り入れることもあったのだなどと、そのいかにも教会に似通ったモスクに向かって行った。だが、様子が変だ。どう見ても単なる教会建築なのだ。で、運転手に建物を指差して「ムスリム?」と聞いてみたら、運転手はうんにゃと首を振って、「カトリック」と答えた後、お前アホか、こんなモスクがあるかい、といった顔をしている。運転手たちは私たちをホリー・トリニティ・カシードラルへ連れて来たのだ。「誰がパキスタンに来てまで教会を見るかい」などと猛り狂っても無駄だ。彼らにとっては、教会の方がよほど珍しい。きっと凄いものを見せてやったと内心得意だったに違いない。パキスタンの建造物の三っつに一つはモスクなのだから。

 ホテルに戻ると、シャワーを浴びて、髭をそり、ムースで髪を撫で付けて、洋服の青山で9500円で買った礼服に身を包む。今日は義兄の結婚式なのだ。相手はPさんの妹のJ。開始時間は午後六時。ぎりぎりだった。私たちは大急ぎで身支度を済ませると待ち合わせ場所のロビーに向かった。ところが、Rさんだけがなかなか姿を見せない。一体どうしたのだろうと、そろそろ待ちくたびれた頃にRさんが現れた。もう式の始まる時間だ。私たちは慌ただしく車に乗り込んだ。Rさんは「もう行くの」などと呑気なことを言っている。だが、結果的に正しかったのはRさんの方だ。新郎新婦が姿を現して式が始まったのは七時頃だったし、料理が出てきたのは十時頃だった。パーティが終わったのは十二時頃である。この超スローテンポの式次第には、訳のわからない空白の時間がやたらあって、することもなくただ雑談して待たねばならない。食事が始まるまでに列席者が口にしたのは水だけだ。それでも、みんな気長に待っていた。パキスタン人には時間の観念が皆無である。

 宴たけなわになったのは食事の済んだ後からだった。舞台にいたバンドが急に猛々しい音楽を奏で始め、パーティー会場は突如ディスコに変貌してしまった。子供たちも大喜びだ。会場は一気に興奮状態の坩堝に投げ込まれてしまったから、もう、無茶苦茶だ。ついさっき見事なダンスを披露していた十歳くらいの少女が、次の瞬間には興奮した子供や大人の一団に踏み潰されたり、新郎新婦が椅子に座らされたまま高々と御輿のように持ち上げられて、キスするまで降ろしてもらえなかったり、口から心臓が飛び出してしまうのではないかと思うくらいハイテンポで踊り狂ったり、私たち日本人はもう呆然とするばかりだったかというと、そうでもなく、一緒に大騒ぎしてしまったのだったが、実を言えば、このパーティにはアルコールが一切出なかったのだ。酒なしに酔える国、それがパキスタンだ。

 最後には会場を飾っていたゴム風船が一斉に割られた。半端な数ではない。百や二百はあったと思うが、それを会場の壁から引き千切り、子供たちが入り交じって次々に割って行く。それはさながら爆竹の連発のような音を立て、更なる興奮を呼び起こす。ついには大人たちまで争って風船を割り始め、騒然とした中、列席者たちは順次会場を後にして行った。

 ホテルに戻るともうすっかりくたびれ切っていて、早々とベッドに潜り込んだ。と、電話が鳴り始める。義兄だった。煙草を切らしたらしい。しばらくして、私たちの部屋に取りにやってきた。ドアのところで、煙草を手渡したCちゃんが戻ってくると言った。

 「お兄ちゃん礼服着とったから、まだ、そんな格好してんの、て聞いたら、これからお姉さんとお母さんが部屋に来るねんって言うとったで」

パキスタンでは新婚夫婦に対する気遣いは存在しない。