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K2を見にスカルドゥに向かい不快な飛行機旅行をした後に、砂漠の空港に降り立って、快適なホテルに到着し、昼寝をしてから、神々の世界を見て感動し、大いに腹を下して、夕食も食べずに眠りについた次第

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 目覚めると打ち合わせた起床時間になっていた。朝食もそこそこにイスラマバード空港に行き、そこからスカルドゥに向かう飛行機に乗る。

 はっきり言って、PIAの国内線はひどい。エグゼクティブ・クラスなのにハエが飛び交っている。ライフベストの取り扱いを説明するスチュワーデスの態度も投げ遣りだ。これなら余分な金を払うこともなかった。そう思って、仕切のカーテンの隙間からエコノミークラスを見て驚いた。藁を敷いた五段ベッドに、乗客が無造作に積み重ねられていたからだ。動かせるのは目だけで、暗がりに浮かんだ恨みがましい数百の眼球が一斉に、こちらの方を睨んでいる。選択を誤らなくてよかったと考え直した。飛行時間は1時間足らずだ。後半20分くらいは、山間を縫うようにして飛ぶ。床が時々ゴリゴリと音を立てるので、窓から下を覗いてみてみると、山の頂に飛行機の胴体が擦れていた。もう一度激しく揺れたので、窓から後ろの方を見ると水平尾翼がなくなっていた。またしても、飛行機が恐ろしい胴震いをしたので、操縦室を覗くと、パイロットが欠伸をしていた。やがて飛行機は機種を下げ、着陸態勢に入ったが、空港は、単なる砂漠だ。一面岩と砂ばかりで、滑走路は舗装もしていない。着陸位置を示すためだろう、地面にはハチドリやクモが大きく描かれている。着陸した飛行機は胴体の半ばまで砂に埋もれて、タラップなしで地面に降り立つことができそうだった。太った白人の中年男が、それを見て取って、扉から地面に飛び降りる。蟻地獄のような、すり鉢上のへこみを砂上に残して、男の姿が消えた。妻と思しき中年女はそれを見て、雄叫びをあげ気絶した。私たちは地上に飛び降りるのを断念して、タラップで地面に降りた。その時、私は月面に降り立つ宇宙飛行士のような気分になったが、壁のようにそそり立つ山々に四方を囲まれた砂漠を眼前にすれば、そんな気持ちにもなろうと言うものだ。もちろん、ここには多少作り話も混じっているが、ヒマラヤ山脈をすり抜けて、砂漠の空港に降り立つという異常な出来事からもたらされる心的印象を伝えるために、少しばかり脚色を加えることは許されるだろう。

 ホテルのマイクロバスに乗って、シャングリラ・ホテルに向かう。途上、それこそ広大なと言うに相応しい河が見えた。とはいっても水量は少なく大河ではない。砂が凄いのだ。日本中の砂浜を一カ所に集めたくらいに広大な砂丘があった。水嵩が最大になったときには、その全てが水面下に没するのだという。これこそが上流のインダス河だった。

 ホテルはバンガロー形式で、幅150メートル奥行き70メートルほどの湖に面して二部屋一戸の建物が立ち並んでいた。湖の向こう側には数百メートルの高さの岩壁がそそり立っている。それがホテルに秘境という趣を与えていたが、これは実際ホテルの経営者の狙い目だった。シャングリラとはもともと小説の中の架空の国の名前だ。飛行機がヒマラヤ山脈に不時着して、その夢の国を見つけ出すのだ。ホテルの経営者はその着想を生かしてこのホテルを造ったのだが、その後本当に飛行機が墜落した。経営者は機体を買い取り、ホテルの敷地の一角にそれを利用した喫茶店を造った。全長15メートルほどの小型機だった。

 私たちはチェックインを済ませると、部屋の前の縁台に置かれたベンチに座って居眠りを始めた。残りの半日は休息にあてることにしたのだ。湖からそよ風が吹いてくる。最初は心地よかったが、やがて肌寒くなってきた。標高2000メートルを超しているのだから、三枚くらいの重ね着では不十分なのだ。夜になればもっと寒くなるだろう。ダウンジャケットをもってきて良かったと思った。目が覚めてしまったので、Cちゃんと湖の向こう側に行ってみることにした。

 途中湖の岸を石積みで補強している男たちを見かけた。ハンマーで石を割り、適当な大きさにして積み上げて行く。作業は極めて緩慢な動作で行われていた。そもそも作業員は七、八人いるのに、働いているのは二、三人だ。何とも余裕のある労働で、効率なんか全然気にしていない。それでも工事は、はかどるものらしい。湖の周囲三分の一ほどはすでに石積みで補強されていた。

 湖の向こう側からホテルの方を臨んで、私たちは息を呑んだ。ホテルの背後には白く光る高山が幾重にも重なって絶壁を形作っていたからだ。世界の果てだった。向こう側は神々の世界だ。

 しばらく呆然と景色を眺めた後、引き返してみると、Hちんも目を覚ましていた。そこで三人でボートに乗ることにした。乗り場所が分からないので、湖の近辺でうろうろしているガードマンに声をかける。先にすでに少し話をしたから英語が通じるのは分かっていた。ところで、義兄の家の護衛と言い、ここの護衛と言い、なんとなく緊張感に欠けるのは何故だろう。なんとなくお人好しで、軍服が妙に似合わないのだ。先に声を掛けた時、この護衛は軍靴を脱いで水に足を浸していた。何かあった時、すぐに駆けつけられないと思うのだが、義兄の言う通り、駆けつけるどころか、逃げ出すのだろう。殺伐とした事件が日ごと生じているのに、なんとなくおっとりしているのがパキスタン人だ。

 ガードマンは私たちをボート乗り場に案内してくれた。食堂のボーイが現れて一緒にボートに乗り込もうとする。Hちんは自分でボートをこぐつもりでいたので、断ったが、何かあると困るからとボーイは強引に乗り込んできた。で、この男が嫌なやつだったかというと、とても気の良い男だった。Hちんがボートこぎに苦戦しているとみるや、すぐさま力を貸してくれ、色々なことを話し始めた。「日本から来たのか? 東京からか?」と聞くので、大阪からだと答えると、「ところで日本の首都はどこだ?」と尋ねる。東京を知っているのに、それが日本の首都だとは思ってもみなかったようだ。

 「俺も日本に行ってみたいけど、簡単に行けるか?」

 答えはノーだ。パキスタン人の不法就労が目立つという理由で、日本はよほどの理由がない限りパキスタン人にヴィザを出さない。で、男が気落ちしたかというと、全然そんなことはない。いたって陽気なまま、HちんやCちゃんがカタカナ表記をたよりに読み上げるウルドゥー語の表現に耳を傾け、それはこういう意味だ、などとやってる。

 ボートを降りる段になって、チップを幾らあげようか、ということになった。私たちはこの男が気に入っていたので、多めにやるつもりだったが、どれくらいやれば良いのか見当が付かない。Cちゃんがカタカナ読みのウルドゥー語で幾らだと尋ねた。男はハウマッチの意味だという。まだ、先の続きの積もりらしい。私たちは200ルピを差し出した。すると驚いたことに、男は「無理をするな」と言って、100ルピを返してきた。どうやら多すぎたらしいが、それにしても正直な男だ。買い物をするたびに吹っかけられないように気にしなくてはならない毎日だったので、私たちは、正直なパキスタン人という語義矛盾を体現したこの男に感動した。後に義兄に聞いたところ、このあたりの住民は全般的におっとりとして世間ずれしていないのだそうだ。

 ボートを降りて、縁台でぼんやりするうちに、屋内で眠っていた義兄とJがようやく起き出してきた。私たちはJに日本語を教えることにした。まずは数字から。

 「イチ、ニイ、サン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチ、キューーーー、ジュー」

 関西人なら誰もが子供の頃やった、あの節のついた数え方だ。Jは「キューーーー」のところに来るたびに大笑いしていた。

 夕食の直前になって、再び腹具合がおかしくなった。ぺシャワールに始まった下痢はまだ治っていなかった。一旦は小康状態に入ったが、急激に揺り戻しがやってきたのだ。結局その夜は夕食抜きで寝ることにした。まだ、8時頃だったと思うが、ベッドに入ると、すぐに眠ってしまった。