5/1

************************************

ハイエースでイスラマバードに向かう途中、裸の地球を間のあたりにして心動かされ、造山運動とカラコルム・ハイウェーの一騎打ちを目の当たりにして手に汗握った後、運転手がのろのろ運転で、夜遅くにホテルに到着し、風呂に入らずベッドに入った次第

************************************

 またしてもボーイのノックの音で目覚めた。もはや起こしてもらわないと、早朝には目が覚めなくなってしまった。一旦立ち去ったボーイが再び扉をノックする。「もう起きてるよ」と言おうとしたら、ボーイが困った声で「隣のお客が起きてくれない」と言ってきた。Hちんが寝ぼけて妙なことを口走ったので、心配になって、我々の部屋に来たらしい。私たちが起こしにいくと、案の定、Hちんはベッドに潜り込んでいた。何度も声を掛けて、ようやく起こした。

 朝食を終えて部屋に帰ると、近くに私たちが予約した車が停まっていた。大慌てで支度をして乗り込む。今までで一番汚い車だった。荷物運びの子供たちは土足のまま座席の上に立って荷物を積みこんでいる。ぺシャワールに行った時のような快適さは望むべくもない。だが、車が走り出して、ものの10分も経たないうちに、座席の汚さなどすっかり忘れてしまった。窓外の景色が余りに凄かったからだ。

 美しくなどなかった。一枚岩でできた山を見れば、美なんて小さな概念は簡単にぶっ飛んでしまう。まるで地球に突き刺さった刺みたいに、大きな岩が聳え立っている。幾つも幾つも。その一つ一つが山なのだ。草も木も生えていない。山を飾るのは緑ではなく、岩に含まれた鉄分の赤や、雲母の輝きだ。徹頭徹尾、鉱物しかない。岩山のふもとには河が流れ、その岸辺をきめ細かな砂が縁取っているが、砂も水も鉱物であることに違いはない。地球は生き物ではなく鉱物なんだと、私は当たり前のことを改めて認識した。生き物の味方であるはずの水さえも、ここでは岩を削り砂を流す液体の鉱物に過ぎなかった。数万年前にはもっと鉱物らしく、光り輝く氷河として、この岩山と激しい衝突を繰り返したに違いない。岩山の間はU字型に抉れていた。水はV字に谷を削り、氷はU字に谷を削る。地学の教科書そのままの世界だ。ヒマラヤ山脈は大陸同士のぶつかり合いでできたと習ったが、それも本当だった。岩には地層が刻まれていたが、その地層は大地に平行にはなっておらず、常に斜めにせり上がっていた。

 昔から「地球に優しく」なんていう歯の浮くような言葉は大嫌いだったが、実際、地球は人間にこれっぽちも優しくしてもらう必要などなかった。緑の木々も、動物も地球の表面を薄く覆うヴェールみたいなものだ。そんなものがあろうがなかろうが地球は痛くも痒くもない。ヒマラヤでは生の地球が見える。優しさの一遍も持ち合わせない岩の塊、それが地球だ。大陸同士がぶつかって造山運動が起こり、褶曲山脈が盛り上がり、それを水と氷が削る。昼夜の寒暖の差が何千年もかけて岩山に亀裂を入れる。地球の動きに生き物が立ち入る隙など、最初からなかった。

 見馴れた自然、木や草がふんだんに生い茂り、緩やかに河の流れる穏やかな世界が展開するまでには、何時間も車を走らせなければならない。もちろん、たまには緑の世界に出くわすこともある。人が作り上げた果樹園が時折目に飛び込んできた。この岩だらけの世界に、アプリコットを実らせるため何世代の人が営々と努力したのだろう? 岩陰に生えたわずかばかりの草を見つけ出して山羊に食べさせ、その糞をかき集め、果樹園に運び込むという作業がどれほどの間続けられたのだろうか? 雪をたたえてまばゆいばかりの山々よりも、そうしたつつましい果樹園を目にして始めて美しいと思った。シャングリラ・ホテルから遠くに山々を眺める限り、人の手が届かない無垢の山々を美しいと感じることができた。だが、実際、そうした山々に囲まれてみると、美しいのは人が営々と積み重ねてきた努力の方だった。

 砂漠にしろ高山にしろ、自分が安全地帯に身を置く限り美しいと言える。いざ、それらを間近に見れば、圧倒的な冷たさを感じさせられる。自動車に乗って通り過ぎただけの人間に何が言える、と言われれば、それまでだが、むしろ、自動車という文明の利器に守られた状態であってさえも、冷たさを感じさせられたということが私には重要に思える。そもそも、私たちが走ったカラコルム・ハイウェーは至る所で落石が起こっていて、自動車が安全地帯を作り出すとは到底思われなかった。大きな岩の下でアスファルトは亀裂を走らせ、滝が路上に落ち、雪解け水は舗装道路の上に川を造っていた。ハイウェーは刻一刻山々の活動に押しつぶされようとしていたのだ。

 始めて運転の下手なパキスタン人に私たちは出会った。それが今回の運転手だ。前にのろのろ運転のダンプがいても全然追い越せない。何度も何度もトライした挙げ句に、しおしおとスピードを落として、重い荷物を運ぶダンプの尻を舐めつづける。そして、ようやく思い切って追い越しをかけた時にはカーヴに差し掛かっている。案の上対向車と鉢合わせしそうになり、間一髪、もう一度ダンプの背後に隠れるのだ。私たち一同大いに不平を垂れたが、運転手は鼻くそをほじりつつ、その同じ手でビスケットを口元に運びつつ、マイペースを保つ。お陰で、目的地への到着は遅くなりそうだった。すでに岩と砂のスリリングな景色も見えなくなった。三蔵法師一行の登場しそうな、霞んだ山とインダス河、砂漠という取り合わせは、当初我々にゴダイゴを口ずさませるほどの効果をもったが、ものの30分で単調さを免れなくなり、車内には睡魔が跋扈し始めた。昼食をとるはずのチラースに到着したときには三時を回っていた。

 義兄は旅程の遅れを大いに心配し始めた。宿泊を予定しているマンセラには七時に着くはずだった。だが、この様子では何時になるかわからない。しかも厄介なのは、夕暮れの後に、コーヒスタンを通過しなければならないことだ。義兄によれば、この地域の部族コーヒスタニーは非常に攻撃的で敵意に満ちている。

 「日が暮れる前にここを過ぎてしまいたいから急かしてたんや。そやのに、あの運転手全然あかんで。」

 昼食を終えて再出発したのは四時頃だ。義兄は運転手の尻を叩くといって助手席に乗り込んだ。再び山が間近に迫ってきて、窓外の景色は俄然面白くなってきた。山々はすでに木々に覆われているが、マイナスのついた二次関数の曲線みたいな山は、日本では見られない。私たちは不満を忘れ、窓に張り付いた。霞がかった山々からは、今にも雲に乗った孫悟空が現れそうだ。時に、山肌が突如岩に覆われ、そこを一筋の滝が流れて落ちていたり、山羊が飛び石伝いに草を求めたりもしている。そこには午前中の景色とは異なった面白さがあった。けれども、すぐに夕暮れがやってきた。義兄はとっくに眠り込んでいて、一向運転手を急かそうともしない。やがて、あたりは真っ暗になってしまった。遠くに見え始めた灯りは、もちろん目的地のものではなく、コーヒスタニーが灯したものだ。町に入ると通りには大勢の男たちがいて、私たちの車をぎらぎらとした目付きで見る。彼らに敵意があったかどうかは分からない。ともかく、JとCちゃんは頭からすっぽりと布をかぶっていなければならなかったし、運転手もクラクションを鳴らすのを控えているようだった。大勢の人間がいる割には、街を完全な静寂が支配していた。かすかに、しかし確実に、鋭さを秘めた緊張感があったが、それが車外から来るものか、私自身の体から立上るものなのか、最後まで分からなかった。

 ようやく、と言った感じで、街を通り過ぎると、窓の外はまたしても真っ暗闇になり、私たちを脅かすものもない代わりに、楽しませるものももはやなかった。時計はもう九時をまわっている。永久に目的地に着かないのではないかと思った。運転手は相変わらず鼻くそをほじり、ビスケットをかじり、時に少し緊張して、道を横切る雪解け水の川を渡り、昼間私たちに予告した到着時刻のことなど、全く意に介することもない。目当てのゲストハウスに到着したのは十時になってからだった。シャワーを浴びたいと思ったが、故障で、水さえ出なかった。もちろん、フロントに談判に行く気力はもはやない。夕食の時に、ノンアルコール・ビールが飲めたのがせめても救いだ。私とCちゃんは、そのちっぽけな幸福を噛み締めながらベッドに潜り込んだ。