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思いのほか早く、イスラマ到着したものの、なかなか義兄宅に帰り着けず、帰宅の後にはJと英語でパキスタンの多様性に大いに語り合った後、明日は帰らねばならないということが極めて遺憾に思われた次第

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 翌朝、私たちは朝食をとる暇もなく車に飛び乗った。こんなにおっとりした運転手では、イスラマバードに帰り着くのが何時になるか分からない。とにかく時間が惜しかった。なんせ、明日には、日本に向けてイスラマバードを発たねばならないのだ。私たちは公然と運転に不満の声を挙げるようになった。けれども、運転手は我慢強く自分のペースを守りつづけた。後続車がどんどん追い抜いて行く。

 「俺が運転しよか」

 Hちんが本気で言う。ペシャワールやシガルに行った時の運転手が凄腕だっただけに、私たちの不満は最高潮に達していたのだ。

 けれども、今にして思えば、チャタール高原の素晴らしい景色を余所目に、先を急いだのはもったいない話だった。狭い丘の上に家屋を存分に密集させた街は、それだけで一時間をかけて眺める価値があっただろう。丘の一方はほぼ直角の崖になっていて、しかも何の処置も施していないものだから、雨に任せて崩れ放題だった。その崖っぷちにまで家が建っている。翌朝起きたら、便所がなくなっていた、というぐらいなら良いほうで、下手をすれば命が無くなっていたということにもなりかねない。それでも、人が住んでいるのだ。丘から丘への移動は人力ロープウェーを用いて行われており、私たちの眺めるうちにも、小さな篭が揺れながら行ったり来たりしていた。きっと、世界中のどのジェットコースターよりも恐いに違いない。そんな凄い光景の前を文字どおりさっさと通り過ぎてしまった。

 イスラマバードまでの道のりはあっけないほど短かった。途中、ハエだらけのレストランで朝食をかねた昼食をとったのだが、それでも、二時頃にはイスラマバードに到着した。だが、喜んだのもつかの間、そこからわずか数キロほどの距離にある義兄宅に到着するまでに小一時間もかかってしまった。運転手は信号のシステムさえも良く理解していなかったのだ。左折するのに、信号が青になるのを待ったりする。まことに、百里の道も九十九里浜とは古人もうまく言ったものである。私たちのうんざり度は推して量るべし。けれども終わり良ければすべて良し。私たちは無事イスラマバードに到着すると、運転手に何ルピーかのチップをやったあげく、あの鼻くそをほじっていた手に握手までしてしまったのだ。終わりが良かったというより、単に私たちは人が良かったのだろう。

 かくして、私たちのヒマラヤ旅行は終わった。パキスタン旅行そのものの終わりも近づいていた。明日には発たねばならない。私たちは夜遅くまで色々な話をした。Jが日本語を解さないので、会話はほとんど英語で行われた。今になって、なぜわざわざこんなことを断るかというと、これまで私たちは英語1に対して日本語9くらいの割合で話していたからだ。英語中心の会話を成り立たせるほどまでに、お粗末な耳と舌がようやく慣れてきたところだった。Jも初めて会話らしい会話をしたという気分になったに違いない。これまでよりもずっと楽しそうだった。正直なところ、私たちはこの時になってどうにかJの考えとか気持ちが理解でき始めたのだ。明日帰らなくてはならないのが本当に残念だった。

 色々なことを話したが、とりわけ印象に残ったのは、パキスタン社会が強力なコネ社会だと言うことだ。たとえば、義兄もJも運転はするが、免許証を持っていない。教習場に行ったこともない。その気になれば免許などその日に手に入るだろうと言う。だが、正規のルートで免許をとろうと思えば、恐ろしいほどの時間がかかってしまう。コネのない人間には、そうするほかに方法がない。また、ハイバル峠に行った時、途中、ペシャワールで挨拶を交わした人物は、峠へ続く道が貫く地域の部族長の息子だった。部族地域に入るには、パキスタン政府の特別許可が必要なのだが、その手続きには普通何ヶ月も要する。ところが、義兄が、問題の部族長の息子と話を付けたところ、僅か一日で許可がおりた。合理性のかけらもない官僚組織を迅速に動かすためには、コネクションという特殊燃料が必要なのだ。

 「日本の外務省も国連もそのことに頭を悩ませている」

 義兄は眉を顰めて言った。

 もちろん、パキスタン社会で安楽に生きるために、金が強力な武器になることは上の話と矛盾しない。パキスタン社会の組織は腐敗を極めている。警察官は小遣いが欲しくなると、社会的に弱い立場にある人々を呼び止めて、ねちねちと取り調べを始める。餌食となった人が早急に解放される方法は一つしかない。金を払うのだ。スカルドゥからイスラマバードに至るまでの間に、私たちの車は二度警察官に止めら、運転手はその度に財布をもって車から降りなければならなかった。義兄の雇っている料理人は買い物に出かける度に警察官に金銭をせびりとられる。アフガン難民だからだ。義兄は言った。

 「パキスタンの全てのシステムは金持ちのためだけに存在している」

 夫に浮気を疑われ殺される妻が続出する社会、部族同士の確執が日毎の銃撃戦を生み出す社会、赤ん坊や子供が道具のように扱われ虐待され続ける社会、それがパキスタンだ。Jは言った。「パキスタンは世界で最良の自然と、最悪の人間をもつ国だわ」パキスタン人の一人であるJを前にして、私たちは「その通りだ」と言わざるを得なかった。けれども、そもそも国境などという概念が怪しい、この世界を国とか国民という概念から論断することはできない。個人とか地域により、内実は様々なのだ。私たちは、多くの日本人よりもよほど善良なパキスタン人とも出会ったし、善人の国のような地域にも出くわした。Jの言葉通り、「パキスタンは多様性の国なのよ。地域によって、宗教も、文化も、言語さえも違う」のだった。