8月10日

 

 早朝、僕たちはジープに乗り込んで、ナルタール谷に向かった。谷の村で、ポロ

の試合が行われるからだ。ポロはすっかりイギリスのスポーツというイメージが定

着してしまっているが、発祥の地はパキスタンだ。本場のポロを見る。それが今日

の目的だった。今から思えば浅はかなことだ。目的を達成するためには、手段が必

要なのだが、時にその手段は恐るべきものとなる。パキスタンに来てから、すでに

幾度となくその事実を目の当たりにしていながら、僕にはそれが教訓として身につ

いていなかった、としか言いようがない。なぜ、僕たちがチャーターしたのがジー

プだったのか、その恐るべき事実にさえ、僕は意味を見いださないままだったのだ

から。

 舗装道路を走ったのはほんの十数分だった。道路はすぐに未舗装――いや、これ

なら何時かは舗装されるだろう――無舗装――永久にアスファルトに覆われる日は

ないだろう――になった。山肌にそって切り開かれた、その道路の上には、際限な

く崩れ続ける山の岩がごろごろと転がっている。大きな岩に乗り上げるときは、ス

ピードを落とすけれど、小さな石はお構いなしに弾き飛ばす。けれども時にはその

石に根性があってジープを三十センチ位持ち上げてくれる。その度に僕たちの腰は

座席から浮き上がり、下手をするとジープの天井で頭を打つ。ジープの天井は幌だ

からと安心してはいけない。その幌を支えるために、太い鉄棒が縦横に走っている

のだ。これで頭を打ったら、痛いどころの話ではない。後部座席に座っていた僕た

ちは、前部座席のシートにしがみつき、舌を噛まないのように歯を食いしばってい

た。その時、僕は初めて、

 「前回、カラコルムハイウェーを走った時には、ハイエースだったのに、今回ジ

ープにしたのは、こういうわけだったのか」

 とぽんと膝を打ちたかったが、そんな余裕はなかった。

 思えば、それでも僕は、てんでわかっていなかったのだ。しばらく走った後、あ

れ? と僕は思った。道幅が狭くなって来てるような気がしたのだ。だが、この岩

だらけの道で道幅が狭くなるはずがない。何しろ、道の片側は山肌、もう一方は崖

で、その崖の下には河が逆巻いている。そんな危険な場所で道幅が狭くなってたま

るものか、もちろん、錯覚だ、、、、事実、錯覚だった。道幅が狭くなっているよ

うな気がしたのではなく、本当に狭くなっていたのだ。崖側の座席を占めていた僕

は、ジープの側面から崖の下を流れる河を眺めたりしていたのだが、気が付くと、

ダイレクトに崖と河だけが見えるようなった。視界の下半分を遮る路肩が見えなく

なったのだ。僕はにじりにじりと山側の座席に尻を動かして行った。山側の座席に

座っていたCちゃんが文句を言う。

 「こっち狭いで。寄って来んといて」

 「道が見えへんねん」

 そう僕が言うと、Cちゃんがぎくっとしたように、山側に身を寄せたので、僕も

すかさず、もっと山側ににじり寄った。それからは、ジープが小石に乗り上げるた

びに、視界が狭搾するような気がした。気が付くと手が汗でぬるぬるになっていて

、汗で顔が洗えそうだった。けれども、河と道との距離が狭まってきた。やがて崖

がなくなって、道と河がほぼ同じ平面を走るようになる。橋を渡って河を越え、村

へと続く道にジープが乗り入れた時、僕は思わず「生還した!」と思った。帰りも

同じ道程をたどるのも忘れて。

 相変わらず道幅は狭く、道路は岩だらけの上に、雨の浸食で幾重にも溝が走って

いたけれど、道路は早町中を走り出していたので、僕は比較的落ち着いて辺りを見

回していた。ギルギットとは比べ物にならないほどに素朴な街だ。河の向こう側を

見ると、とてつもなく高い山が唐突にそびえている。普通に眺めると岩壁にしか見

えない。首をぐいと上の方に向けて初めて、鋸の歯のように立ち並んだ山頂が見え

る。その高い山の裾には崩れ落ちた大きな岩が転がり、その堆積の麓に辛うじて一

条の緑――数列の並木が立ち並んだ後、その下の狭い土地が放牧地、その放牧地の

更に手前に河が流れ、放牧地と河に挟まれた斜面に住居が張り付いている。ちょっ

と大きめの岩が山から転がり落ちたら、村全体がぺしゃんこになってしまうことは

間違いない。ナルタールの村人たちは、そんなロケーションで文字通り山肌に張り

付くようにして生きているのだ。

 目的地にたどり付いた僕たちは、無事たどりついたことを互いに喜びながら、昼

御飯を食べた。とはいえ、この恐るべき秘境のことだ。昼御飯を食べるのも一仕事

だ。チキン・カライを頼むと、ボーイが生きた鶏をもって来て、これで良いかと聞

く。良いと、答えると、それから鶏を絞めるのだ。料理が出てくるまでに二時間は

かかる。一般に絞めたばかりの鶏肉は、固い上に変なにおいがする。血が抜けきっ

ていないし、死後硬直を起こしているのを料理するからだ。ところが、パキスタン

でそんな鶏肉を食べたことは一度もない。ナルタールのチキン・カライも、舌が焼

け付くほどに美味しかった。きっとパキスタンの人たちは、屠畜の名人なのだろう

。羊の肉でも臭いが気になったことがない。日本で食べる羊の肉には鼻がひん曲が

るほど臭いものも少なくないのに。

 

 長い昼食を終えた頃に、ポロの試合開始の時間となった。太く背の高い木々が疎

らに生えた林のような斜面に沿って歩いて行くと、近隣の見物客で試合場の周辺は

はやごった返していた。その人混みの間で、牛やロバがのそのそと歩き回り、草を

はんでいる。当然あたりは牛糞や馬糞、ロバ糞がごろごろ転がっているが、それで

もお構いなしに見物人たちは腰を下ろしている。突如、この世のものと思われぬ叫

び声があがった、

 ばほほほほ〜〜〜〜〜〜〜〜んん、ばっひんぶっひん、ぶひひひひひひひひ〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜んんんん。

 その叫び声は、辺りの斜面で反響して、一層恐ろしげな雰囲気を醸し出す。僕は

思わず身構えた。義兄が笑いながら言った。

 「あれ、ロバの鳴き声やで。」

 何という鳴き方をしてくれる畜生もあったものだ。数年前、火星から金星人が到

来し、毎日毎日、地球人を殺戮しまくっり、やがて、都会人たちを殺すだけでは飽

きたらず、ヒマラヤ山脈の奥深くまで人間を捜しにやって来て、ついに、残された

たった一人の地球人を残忍な笑いとともに、レーザー光線で撃ち殺す。後に残った

のは、雄大なヒマラヤ山脈と無人の地球。ああ、こうして人類は滅亡、残された飼

いロバは、野良ロバと化して、今は亡き主人を偲んで夕日に向かって鳴く、

 ばほほほほ〜〜〜〜〜〜〜〜んん、ばっひんぶっひん、ぶひひひひひひひひ〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜んんんん!!!

 という位に、悲愴と悲哀と汚穢に満ちた鳴き声なのだ。ぼさっとした顔をして、

何ちゅう深刻な声出すねん、と思わず大きな耳の間の小さな額をポンと叩いてやり

たくなったが、ロバは噛むのでやめておいた。

 異常な清潔癖が身に染みついた日本人としては、汚物の点在する斜面に腰を下ろ

すのはどうも気が進まないので、競技場の近くまでやって来た。どうやら偉い人た

ちが来るらしい。特等席と思しき場所に、ソファが持ち出されている。そういう物

とは縁のない僕たちは、適当な石ころの上に腰を下ろすことにした。まもくなく、

試合開始のはずだった。だが、パキスタンでは「はずだった」通りに行ったためし

がない。待てど暮らせど、試合は始まらない。どうやら、偉い人のご到着をまって

いるらしいのは分かった。ソファが空いていたからだ。暗くなる前にギルギットに

帰らなければならない僕たちは、しびれを切らして、何度も悪態をついた。

 「どんな、偉い奴か知らへんけど、こんなに待たせるか? ソファまで用意させ

といて遅刻するとは、自分を何様やと思てんねん。どうせ、しょーもないカスみた

いな奴が来るんやろ。さっさと試合なんか始めてしもたら良えねんや。」

 と、その時、試合場の近くまでジープが乗り入れてきた。

 「ようやく、来よったな、このアホ、ぼけ、カス」

 やがて偉いさんチームご一行が、談笑しながら、試合場に近づいて来て、ソファ

に深々と腰を下ろす。と、その時、義兄が

 「あ。」

 と言ったかと思うと、その偉いさんチームに近づいて行った。そのうち、ソファ

の辺りで一騒動が起こる。ソファでくつろいでいた人たちが、どんどん席を立ち始

める。やがて、ソファには残っているのは一人だけになった。義兄が引き返してく

る。

 「ソファに座らせくれるで。」

 ソファの方を見ると、残った一人が手招きしている。よく見ると、昨日ジープや

ホテルの手配をしてくれた旅行会社の人だ。あの人がそんな政治力を持っていたと

は、、、と思いつつ、近づいて行って、握手をする。そして、その時始めて、その

人が、このあたり一帯の大物政治家だということを、私は知ったのだ。目の前を桜

吹雪が乱舞するような気がした。日本語が通じたらきっと突っ込んだだろう。

 「あんたは、遠山の金さんか。」

 とにかく、パキスタンではネコはしゃべらないが、コネはずけずけとものを言う

。コネをたどるうちに、大物政治家が旅行の手配をすることになったらしい。とん

でもない国だ。ともかく、僕は何度も悪態をついたことをころりと忘れて、へらへ

らとサンキューを繰り返し、ソファに腰を下ろしたのだった。

 

 特等席だけあって、ポロは大迫力だった。そもそも、ポロなるスポーツを目の前

に見たのは初めてだったのだが、そのスピード感に圧倒された。ポロは形式的には

、サッカーと似ている。要は白いボールをゴールに入れたら得点になる。ただし、

馬にまたがって走り、ソフトボールほどの木製のタマを、柄の長い金槌みたいなも

ので打つのだ。馬の走力は人間とは比較にならないから、恐ろしいスピードで試合

が展開する。右のゴールにシュートが決まったと思った瞬間に、人馬はセンターラ

インを駆け抜けて、左のゴールにボールをたたき込んでいる。良くもまあ、あんな

棒みたいなもので、馬の足下を転がるボールを打てるものだと感心しているうちに

、人馬はとっくに両ゴールの間を二往復はしている。左右のゴールに交互にタマが

打ち込まれるものだから、「良い勝負ですね」というと、「いや、一方的だ」と言

われ、「え!?」と尋ねる、その短いやりとりのうちにも、人馬は右から左、左か

ら右へと都合三往復。シュートが決まった後の短い間合いに、「両方のゴールに均

等に入ってますけど」というと「いや、シュートが決まるごとにゴールが入れ替わ

ります」「あ、なるほど」と頷くうちにも、三本はシュートが決まる。いい加減、

首を左右に振るのが疲れた来たぞ、と思って、欠伸をする間にも人馬はゴール間を

二往復、ええい、ええ加減にせんかいと思ううちにも、二本のシュート、あきれか

えってぼんやりしようと思うのだが、何故か野生の血が騒ぎ、ついつい動く物に目

が行ってしまう。いよいよ試合は白熱し、人馬もろとも興奮状態、心も体もブレー

キが利かなくなってきて、馬が場外に駆け出すこと三回、そのうちの二回は特等席

にまっしぐら。よく見えるだけに、馬と我々を隔てるものとて何もない、「わっ!

」と恐慌状態になって一同逃げ出す間にも、人馬は三往復、決まったシュート二本

。「ああ危なかった」と胸をなで下ろしつつ、ソファに腰を下ろすうちにもシュー

トは決まる。もはや、点差がどれほどなのか、想像もつかない。想像するうちにも

、シュートが二三本、観客も皆興奮して口々に歓声をあげ、その興奮が伝染したも

のと見えて、

「ばほほほほ〜〜〜〜〜〜〜〜んん、ばっひんぶっひん、ぶひひひひひひひひ〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜んんんん」と、その間にも人馬はゴールの間を三往復。人間の叫

び声と、ポロのタマを槌で打つ乾いた音、馬の足音、ロバの鳴き声、それらの四重

奏が繰り広げられるなか、やおら後足二本で立ち上がった馬があった。突如の静寂

。立ち上がった馬から、騎手がスローモーションのように飛び降りる、と同時に馬

はゆっくりと横倒しになった。

 ばほほほほ〜〜〜〜〜〜〜〜んん、ばっひんぶっひん、ぶひひひひひひひひ〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜んんんん

 今度ばかりは妙に状況にマッチしたロバの叫び声だけが山々にこだまする。観客

も選手も倒れた馬のまわりを幾重にも取り囲んだ。馬は走る動物なのに走り方、い

や、止まり方を知らない動物だというのを聞いたことがある。追い立てられると、

肉体の限界を超えてまで走り続け、最後には心臓麻痺だったか、脳溢血だったかを

起こすらしい。眼前に繰り広げられたのは、正しくそれだった。

 

 試合は終わった。一方的な勝負だったから、タイムアウトを待たずに判定が行わ

れたらしい。続くのは表彰式。あの危険な山道を引き返すのだから、暗くなると拙

い。早くその場を立ち去りたかったが、ソファを提供してくれた政治家の手前、唯

一の彼の見せ場を見ずに帰るのは悪い気がする。その上、ポロの興奮がそのまま残

っていて、動くのが惜しいという気にもなる。日暮れを心配する運転手を横目にし

ながら、結局表彰式が終わるまで見ていた。ドライバーに追い立てられるようにし

て乗り込んだジープから、試合場が見える。横倒しなっていた馬が、傾いた日差し

の中でゆっくりと立ち上がった。命を取り留めたのだ。僕は、何となく感動しなが

ら、ナルタールの街を後にした。

 

 ここで、この日の出来事を終えたら、どれほど美しいだろう。ポロの興奮を抱え

たままベッドに入り、妙に寝付けずに、暗がりの中、煙草を吹かしてみるのも良か

っただろう。だが、我々の過酷な目的達成手段は、そんなロマンチストでは全くな

かったのだ。昼間の日が高い時でも怖かったあの崖道が、どれほどの恐怖と失禁を

もたらしたかは、想像にお任せする。暗い崖道をを進むのだから、ジープは、人が

歩むほどの早さでしか進まなかった。けれども、それは恐怖を軽減するどころか、

恐怖を長引かせるにしか役立たない。運転手もよほどストレスが溜まったのか、つ

いに崖道を抜けた時、突如としてアクセルを踏み、大揺れするにも関わらず、無舗

装の道を突っ走り、舗装路に入るや更にアクセルを踏み込んで、一層のスピードア

ップを図ったのだった。むろん、ナトリウム灯はおろか、ガス灯もパキスタンには

道路には存在しない。僕たちのジープの走り去った後、何人の遺体が発見されたか

は知る由もない。きっと、その遺体には三本のタイヤ痕が残っているに違いない。

僕たちのジープと、義兄のジープ、それにあの政治家のジープだ。