大角の悩み

  青空は広々として雲一つない。昼近くの高い陽は山道も隈無く照らし出している。その傍らのわずかな木陰に腰掛けて、旅僧が休んでいた。口が半ば開いた愚鈍そうな顔は、しかしそれなりの悩みを抱えて、路上の石の間まに間まに視線を泳がせた態である。やがて、その重たげな肉体の汗の水気に誘われたものか、一匹の虻が坊主頭の周りを旋回し始めた。物思いに気を取られた僧は初めそれに気付かなかったが、一旦気づくとうるさいもので、濁った目はその動きに合わせてせわしく動き始める。と、今まで眠たげに開かれていたその眼は突然刃物のような光を帯び始め、肉は力篭って瘤を盛り上がらせた。今やそこに居るのは別人である。虻はなおもその周りを飛び回るが、目はそれを追ってはいない。口がもごもご動くばかり。幾度めか虻が僧の前を通り過ぎようとした時、やおら、その口から蛙の舌のような速さで唾がはじき出され、つーっと伸びたそれは見事に虻を捉えて翅を地面にこびりつかせた。路上に黒々とした唾液の海に足掻く虫を、ゆっくりと杖の先が押しつぶす。残酷な笑いを顔を浮かべた生臭坊主は、そこで、「吐きざまに、虻を搦める、唾かな」と独り言ちた。が、石にこびりついた赤身を眺めるうちに、その顔は次第に緩慢なものを表面に浮かび上がらせ、やがて、「しまった」と、これは先とは違って、虚ろな声の響きで、「また、やってしまった。仏道にありながら殺生を犯すとは」と今は後悔しきりだが、実を言えば、先の物思いも、この悪癖を気に病んでのものであったことを思えば、なんという性懲りの無さであろうか。

 そもそも、この男、もとは有力な武家の三男で、幼少のみぎりより、智慧も膂力も群を抜いて優れていたのが、いかなる道理かは分からぬが、元服を目前にしたある日、周りの者が気付いた時には、もはや鈍重な腑抜けとなりはてていた。だが、常に気弱で小心な痴れ者ならば、父母も通り一遍心を痛めて事は解決したのであろうが、どういうわけかこの男、何かの折に急に悪心を起こす。そしてその時に限って、かつての頭の巡りと体の俊敏を取り戻すのだから、周りの者はたまったものではない。害を被るのが百姓のうちは、父も捨て置いた。垢じみた農婦を犯そうが、藁葺きの家に火を放とうが、田畑に馬を乗り入れようが、泣くのは所詮下々である。しかし、一年近く旅先にある長男の妻が腹を膨らましたとなれば、これは事である。問い詰められた妻が泣く泣く訴えるには、三男が言葉巧みに炭小屋に誘い込み、その種を仕込んだ由。となれば離縁はもとより、三男も見逃すことはできぬ。かくして、家を追われた男は、旅路についたが、普段は気弱で小心なだけに、犯した罪に自分でおののく始末。兄嫁の方も嬉々と武者ぶりついて、がっぷり四つに組み合ったことなど言い訳にもならぬと、これは殊勝な心がけではなく、実を言えば、同じ手口で次男の嫁はもとより、館に出入りする女の大半に既に手を付け、実母に手を出さなかったのは年をとっていたから、ただ一人の妹の味をみなかったのはもうちと尻と胸が張ってからと、いわば、馳走を後にとる思いであったというのが真相とあれば、この臆病な男の苦しい胸のうちも真実同情に値する、というこの言葉が理解されるためには、男が普段の善良な心掛けに反して、いわば自失のうちに悪事を行うという経緯が理解されねばならぬ。

 さて、その罪の重さに呆然と旅路を歩む男の耳に入ったのが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という教えで、悪人というのまさしく自分のことであってみれば、男はその日のうちに、寺門を叩き頭をまるめたが、それが曹洞宗の禅寺だったのは、やはり男の愚鈍の故であろうか、ともかく合点の行かぬままに座禅を組む日々で、茶店で聞いたありがたい言葉はとんと耳にせぬ、やがてどうやらあれは奥義らしいと独り合点して精進に励んだが、すぐにも頭をもたげるのは例の悪心、修行をさぼるはほんの序の口、門前の掃除怠るはご愛敬、寺の金で博打に励むはまだ可愛い、墨染めに警戒解いた女人犯すは出来心、ありがたい仏像に酒臭い小便かけたも目をつぶろう、畏れ多くも仏像の金箔剥がして売り払ったもよしとしよう、代わりに自分の金糞を塗り付けたとあっては、もはやこれまで、悟りの境涯など吹き飛んで、奈落の底に落つるともこの怒りをどうしてくれようと、青筋立てて迫り来る禅師に、見事に決めたは袈裟固め、すでに齢九十を越えた老僧は、あえなく心身脱落し、抜けた魂西方に飛び去り、ここに壮絶なる往生を遂げたとあれば、もはやそこには留まれぬ。

 早、陽に乾き、数匹の蟻が引きずる虻の死骸を見つめる旅僧、大角は以来二十年悪の限りを尽くしつつ、今もなお旅路にあった。

 自分の過去を振り返り、悪事の数々に嘆息し、向後も罪を犯さぬとは限らぬわが心の不確かにまた深い吐息をついた後、大角は杖にすがって重い腰を上げた。とその時、道の向こう端に姿を現したのは若い娘で、遠目にも年の頃は十五、六、身なりこそは歩き易く軽装なれど、髪型を見れば商家あるいは武家の娘と思われる。そんな娘が一人歩きとは、はて面妖なと、危険を案ずる心はそのまま好機に喜ぶ悪意に転じ、愚鈍の顔は、はや狡猾を秘めた賢者の面構えとなり、ほくそ笑みはひた隠し、物知り顔で娘に近づく。娘は坊主と見て取れば何の気構えもなく、微笑んで幾ばくかの金子を差し出すが、それを押し止め、「いや、それには及ばぬ。それよりも、御身は誠に果報者じゃよ。というのも、先ほどそこの森の中で儂が見つけたは、世にも珍奇なる香木で、町に出れば五十両、いや百両は下らぬという代物。もとより金子に無縁の出家の身なれば、そのままに捨て置いたが、いや誠に幸い、御身が通りがかったからには、これも他生の縁でもあろう。ほれ、この林のほんそこに生えておるから、取りに良くが良い。」

 と言われれば、金の亡者と言わずとも、一も二もなく、これに従ったは自然の成りゆき、娘は単身潅木を掻き分け林に入る。

 「もう少し、奥じゃ、もうちと右。」

 などと大角は、道から指示を与え娘はそれに従い右往左往する。無論、抜け目なく

「足下はどんな具合じゃな。」

 と問い、娘が

「木が茂っております。」

 と応えると、

「もうちと奥じゃ。」

 こんな問答を繰り返す内、

「落ち葉が積もって柔らこう御座います。」

 と来た時には、

 「お、その辺りじゃ。」

 で、娘は辺りを探す気配だが、もとより口からの出任せとあれば、見つかろう筈もない。

 「お坊様、何も見あたりませぬ。」

 と声が掛かるや、それを受けて、

 「や、しまった。御身には見えぬわ。」

 といかにもしくじったかの声をあげたは千両役者。

 「その香木の値が張るのは凡夫に見えぬ故じゃからのお。」

 などど言い立てつつ自らも娘のもとへ。

 枯れ葉に埋もれた適所に喜ぶ心をひた隠し、

「これは儂のような高徳の僧にしか見えぬ。ほれそこじゃ。」

 と娘の足下を杖で示す。娘は手探りするが何も掴めぬ。

「一体、その香木は伽羅でしょうか。」

「いや、摩羅じゃ。」

 と答えては底意が割れる。僧は頭を巡らして

「雄元之所じゃ。」と言い、

「え、その字は何と読むのでしょうか。」

 と問われれば、

「それはさしもの儂にも分からぬ。」

 と、とぼけてみせる。

「ほれそこに、赤黒く隆隆としてそなたの手を待ち望んでおろう。」

「まるでどこやら見当もつきませぬ。」

 と娘はもはや諦め顔。それを見るや、

「いやさ、これは御身一人の益になるものではない故、そう軽々諦めては困る。そのありがたい香木は、手足の病、胸の病、はては瘡病に至るまでに、いたく効験あらたかにして、その香で治らぬ病はなく、御身の心掛け一つで万人が救われるとあれば何とする」

 と額にも青筋立てて叱咤され、娘も今や必死の形相、四つん這いになって手当たり次第に枯れ葉を掻き分ければ、尻の高さは絶妙の頃合、これを見逃しては苦労の甲斐もない、ここぞとばかりに大角は着物の裾を腰巻き帯もろともぐいと引き上げ、尻から背にかけて露にするや、娘の

「あれ、御無体な。」

 という声もなんのその、

「ああ、お慈悲を。」

 と嘆く言葉に耳を貸すこともなく、

「嘗摩羅我物、嘗摩羅我物。」

 と罰当たりなお題目を唱え、いざ鎌倉へと百戦錬磨の槍もて本尊に馳せ参じるが、生娘とあっては思うにまかせず、逆上するにつれ、言葉尻だけの坊主面ももはやはげ落ち、

「うむ、針の穴に駱駝を通すようじゃよ。」

 と口走ったあとで

「や、これは耶蘇教じゃ。」

 などと言うはまだしも、その駱駝を力任せに押し込んだ後では、

「いやはや誠に狭き門は入るに難い。」

 と、もはや邪教一辺倒、今は禁苑の果実を一つ残らず食い尽くす勢いで、眼前を巡るはアラベスク、

「これこそ摩羅、唯一の硬摩羅、摩羅、永遠の硬摩羅。生ます、生まれさす。我が摩羅に並ぶもの、何一つなし。」

 と叫び立て、娘の方はまだ「堪忍して」と泣き声をあげているが、

「汝堪忍すること無かれ。」

 と、もはや意味のなさぬことを言い、やがて、具合が少し変わったかのか舌の動きも滑らかに、

「汝こそ突けども尽きぬ蜜の源」

 となり、やがて荒い息とともに、

「時は満ち、天の国は近づきぬ、改めて陰嚢ふぐりを進ぜよう」

 と腰を突き出すや、その激しい動きに娘はあっと一声挙げて気を失い、今や己の欲するところをなした大角は、荒い息をつくばかり。と、背後に物音。ぎょっとするが、今はもう、顔つきに愚鈍さが現れ始めている。

「や、しまった。まただ。」

 この言葉を幾度口にしたことやら、

 「これはまずいことになった。どうしたものか……ええい、面倒だ。ここはひと思いに……いや、いや、儂は何を考えているのだ、先に虻を殺したばかりではないか、また殺生を犯すつもりか……だが、虻と娘を一緒にするのはちと可愛そう、やはりここはひと思いに……な、な、何を言っておるのだ、儂の馬鹿、馬鹿。ともかくまずい。」

 と、うろたえた背後に潅木を掻き分ける音は一層近づいてくる。もはやこれまでと目をつぶろうとした時、

「ええい、余韻も糞もあったものではない。」

 と声を発したは、またしても邪悪な面構えで、傍らに置いた杖をとり上げ傍らの木の陰に姿を隠すや、「確かこの辺りで声が」と呟きつつ、齢四十ばかりの商人が姿を現したが、下半身あらわに気を失う娘を見て「や、これは」と声を挙げた途端、商人の脳天に先の杖がまっすぐ振り下ろされた。長々と伸びた不運な男の頭を剃り、着物を取り替えたは手筈の通り、自らの丸めた頭は松脂で商人の毛を張り頭巾で覆い、折良くも、道を通る人声がしたところへ、林の外にまろび出て、付近の百姓と思しき男たちに、いかにも動転したように「一大事じゃ」と喚き立てる。

 麓ふもとの村は大騒ぎ。ちょうど居合わせた見回り役人に、ことの次第を伝えてすぐにもお取り調べが始まった。まずは娘の言い分を聞いて、形相みだらな役人に、商人を装った坊主は訴える。

「へえ、道を歩いておりますと、妙な声が聞こえたもので、林の中に飛び込みますと、何と、あの糞坊主がこの娘に挑みかかっておりまして、これはどう見ても、無理強いと見えたものですから、手近にあったこの杖で一撃したわけで御座います」

 力任せに一撃された当の商人がまだ目を覚まさないのを幸いに、大角は旨い具合に言い繕った。娘の方も、よもやこの商人が自分を犯した張本人とは思いもよらない。役人も両者の言うことに辻褄が良く合う以上、何も怪しむこともない。そもそも娘の訴えを聞くのが楽しみで執り行ったお取り調べとなれば、これで一件落着、と考えたその矢先、

「下手人が目を覚ましました。」

 との庄屋の報告と同時に、墨染めの坊主頭が転がり出、娘の方へとまっしぐら、娘は肝を潰してぎゃっと声を上げたが、誰が引き留める前にも、坊主頭は娘を掻き抱いて、

「おお、何という身の不幸。だが、お美代、気を落とすでないぞ、旅先のことなれば、誰にも知られぬ。」

 そう言う声は、正しく父の声ではないか、お美代は眼を大きく開け「おとっつぁん」と声を挙げたとなれば、もはや怪しいのが誰かは知れたこと。

「商人をひっくくれ。」

 役人が声を上げた時には、だが、大角は早や門の外へ、

「いやはや、危ないところじゃった、親子でなければ騙し通したものを。」

 と、呟くその目の前には、村中の男はもとより、女子供までが物見高い馬のごとくに群れていた。背後から役人の声が響いたとあれば、わらわらと有象無象がひしめきあって、我がちに袖口、裾口、頭、腕、足につかみかかり、さしもの百人力ももみくちゃにされ、人垣が薄れたときには、手足にお縄がかかり、もはや身動きもままならなぬ。役人はお取り調べを再開し、化けの皮の剥がれた大角の知らぬ、存ぜぬを後目に百叩きを言い渡した。

 

 「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ。」

 村人全員が声を揃えて数えるは、無論大角を打つ棒の数である。今や、すっかり大人しくなり、愚鈍の光を目にたたえた沙門の背を、容赦なく棒が打ち据えている。自分のこれまでの悪行を思えば、これしきは報いの数にも入らぬ。それに、耐え難いからといっても、誰も許しては呉れず、萎えた体では逃げるもかなわぬ。大角は声も上げずに耐えていた。そして、打擲の数が三十を越えた頃には、お祭り騒ぎの村人たちも熱が冷めてきた。打たれている男が、どう見ても、悪知恵なぞ働きそうにもない痴れ者であり、女を組み敷くには余りに不甲斐ない様相を呈しているとなれば、非難は自ずと悲運の娘に向かう気配となった。海千山千の町娘が気弱な旅僧に誘いを掛けるという方が、よほどありそうなことに思え、娘と商人の身辺に不穏な気配が漂い始めた頃、打擲はすでに五十を数えていたが、うっ、とくぐもった声を発して坊主が失神すると、先の悪巧みの一件、大角の狡猾さを証し立てているあの衣服のすり替えは、もはや村人の頭をすっぽり抜け落ちて、何時のまにやら村人の取り囲む相手は商人と娘になっていた。事態の急変に青ざめた二人に、村人たちが正に詰め寄ろうとした時、あっ、という声が旅僧の周りで上がった。一斉に振り向いた村人たちもまた固唾を呑んだ。大角の口から得たいの知れぬ白いものが顔をのぞかせ、見る見るうちにそれは大きくなり、やがて、輪郭を明瞭にしてみれば、これは正しく九尾の狐で、いまやつり上がった目は爛々と村人を睥睨している。村の和尚が「喝」と一撃を声を上げたが、狐は九本の尾を翻し、その和尚の開いた口に飛び込んだからたまらない。たちまち和尚は、手近の婆さんに馬乗りになり、怒張した逸物を着物の裾から突き出す始末で、わっと飛びかかった村の衆が蒲団蒸しのように押さえ込まなかったなら、和尚の面目は丸つぶれになるところであったが、大勢の村人にのしかかられた和尚の口からは、またしても九尾の狐が飛び出し、その尾がぱあっと散ったと見えるや、呆然として開いた九人の村人の口に入り込んだからこれは一大事。今や村は大混乱の渦に巻き込まれ、火の手は上がるは、盗人は横行するは、女はのしかかられるは、馬はいななくは、餓鬼は喚くは、もうこれには手のつけようもない。騒ぎに乗じて、正気の者までが悪さを始めれば、こちらは理性で悪を行うのだから、あか抜けた町の娘、懐に金子を秘めた商人を襲うは必定、二人を取り囲んだ数人の若衆はそうした不逞の輩にほかならない。商人も娘もおろおろするばかりで、身を守る術とてない。例の坊主がむくりと起き出して、我が身を縛る藁縄を軽々はちきれさせれば、もはや進退窮まったと、娘も商人も観念し、娘は着物を剥がされるのを、商人は金子、着物を奪われるのをなされるままにしていたが、それを遮ったのは、今は愚鈍の片鱗も見せぬ大角。筋肉は翳りを帯びるほどの溝を刻んで盛り上がり、目には智慧と清浄の光が満ちて邪悪の影はどこにも見えぬ。かつての智と勇を取り戻した大角には、田舎の呑百姓なぞ幾たり束になっても、ものの数でもない。あっという間に白目を剥いた若衆を脇に見て、商人も娘もことの成りゆきに驚くやら呆れるやら。折しも、空にわかにかき曇り、どす黒い雨雲から水のつぶてが落ち始めたは、むしろ幸い、家々に放たれた火も人々の頭に上った熱い血もたちまちに、じゅうっと音を立ててなりを潜め、今は数間先も見通せぬ雨の帳のそこここに、呆然として立ち尽くす人影が見え隠れするばかりであったが、騒動にけりがついたのは、案外、悪さをし尽くした狐が、腕枕して満足の午睡を楽しみ始めただけかも知れぬ。

 雨雲が去り、怪我人の手当てや焼け跡の片づけが始まり、死人はもとより、たいしたけが人もなかったのはもっけの幸いと一同喜んだのも束の間、騒ぎに腰を抜かして逃げ出したと思っていたお役人とそのお供が着物も刀も盗まれて川縁で慙死を遂げているのが見つかった。狐がまた何時悪さをするやも知れぬという気掛かりの上に、こんな難題が生じたのではもはや縊れるほかないと半狂乱の庄屋に、大角は言った。

「思えば元服の頃、屋敷裏の立ち枯れた大樹に、何やら禍禍しい気配を感じたのが始まりだった。不審に思って近づいた私に樹が、――思えば、それは樹のうろに潜んだ狐だったのであろうが、ともかく、樹から声が聞こえた。

『今年より向こう三年、この国は飢えに飢え、渇きに渇くことになろう。日照りとそれに続く大飢饉じゃ。儂こそがその禍の源なれば、このことよもや間違いあるまい』

 それを聞いて、何故それを私に教えるのかと問うと、

『儂もそろそろ大雨や日照りで人に悪さをするのは飽きた。それよりも盗みや殺しをしてみたい。儂をお前の体内に入れてはくれぬか。お前は頭も良いし、腕っ節も強い。さすれば、儂も思う存分悪さができる』

 私は何を馬鹿なことをと言い返したが、声は

『馬鹿はお前じゃ。人一人がどれほどの悪をなせる。お前一人で何人を殺せる。三年もの飢饉となれば、死人は千や二千で利かぬぞ。』

 私はなるほどと思い、命じられるままに、口を開け白いものが体内に入るにまかせたのです。爾来、殺した数、犯した数は千を下らず、盗んだ金子も数千両。それでも一国三年の飢饉に比べれば、確かに、害の大小は明らか。となれば、ここは一つ御狐様に懇願して、再度我が体内にお帰りいただくのが上策。また、既に千を殺したとなれば、それが千と三になったところで何の不都合がありましょう。役人の着物、刀を持って私が立ち去れば良いだけのことではありませんか」

 早速、狐の憑いたと思しき九人が集められると、事情をふくめられた彼らは役人の持ち物を全て差し出した。そして、大角が狐に懇願すると、狐もやはり勝手知ったる古巣を好んだか、大きく開けられた口から大角の体内に素直に戻ってきた。とたん、大角の眼光は鈍くなり、筋肉は弛緩し、表情は小心におどおどし始めた。そして、霧のかかった頭は狐が抜けていた間のことをすっかり忘れ去っていた。大角は、役人の荷物をつめた行李を合点の行かぬままに受け取ると、村はずれにやってきたが、見送る人々の間に商人とお美代の姿を認めると、その悲しげな姿に自分の悪事を思い起こして、背を焼かれるように感じながら一層足早に暮れ方の砂利道を歩き去った。の向こう側だ。