−大陸の人たち−

 

< The Quetta News >

 

  モスクワ事務所からテレックスが入る。『クエッタ事務所で難民認定されたとい

う一家がやってきた。事実確認をしてほしい。事実ならその他のデ−タも。ID番号

はQ−****だと云っている』そんな内容だった。

  ファイルを調べる。あった。92年暮れから連絡不通になっている。助手兼秘書

のルストム・アマリアに聞いてみる。

  「どんなケ−スだ、これ?」

  「ああ、イエス。よく覚えてますよ。3歳くらいの息子がいて、なんかひどい病

気でパキスタンで治療は不可能だから、ヨ−ロッパへ送れと強硬に云ってました。そ

の時いたオフィサ−に殴りかかったんですよ。クックック」

  「で、ほんとにその治療はパキスタンでは不可能なのか?」

  「たぶん、不可能だと思いますけど、かといって外国のどこかに可能なところが

あるのかどうかは知りません」

  「結論はでなかったのか?外国へ行きたいと申請したんだろ」

  「申請中に消えちゃったんです」

  こうやって消える難民というのは少なくない。この難民はイラクから来たクルド

人であった。アフガン難民はみんなキャンプに住むことになっていて、そこで食料援

助などを受けるが、イラク、イラン、ソマリアなどから来る難民は毎月UNから現金

援助(彼らはそれを勝手に給料と呼んでいる)を受け、街の中で生活している。

  「このケ−ス、今モスクワにいるぞ。お金、持ってそうだったか?」

  「いいえ。どうやって行ったんでしょうねえ。あの寒い時期に。すごい距離です

よ。まったく、信じられない」

  「歩いて行ったのかなあ。車やバスを使ったとしても楽じゃないよなあ。いずれ

にしろ、相当の部分は歩いてるはずだ」

  「しかも、妻に病気の子供・・・」

  「ああ、信じられない。まったく、この連中には理解を越えるところがある。と

もかく、テレックスで必要な情報送っといて」

  「クックック。はい、分かりました。Mr.Yoshi、この連中を理解しようたって無

理ですよ。クックック」

  妻と子を率いて三千里どころじゃないぞ、これは。ほとんど文無しで自分がここ

から飛行機を使わずモスクワまで行くことを想像してみて、いったい誰が難民なんだ

、という妙な疑問が沸いてきた。僕がモスクワまで辿りつけない確率はかなり高い。

餓死するかもしれない、凍死するかもしれない、病気になるかもしれない、道に迷う

かもしれない(道なんかあるのか???)、地雷を踏むかもしれない、盗賊に襲われ

るかもしれない、そして何より、途中で気力が尽きるかもしれない。こういう哀れな

確率の高さは、僕に限った話でも日本人に限った話でもなく、たぶん先進諸国に共通

の話だろうと思う。率直に云って、ニュ−ヨ−カ−もパリジャンも東京人もこんなこ

とを試みれば三日も生き延びればいいところだろうと思う。ずっとずっと弱い人間に

退化しつつある先進国人が、原始的強靭さを維持している難民を援助している。何か

ヘン。

 

  北京事務所からテレックスが入った。内容は−−−えええええええええっ?

  「ルストム!今度はヒマラヤ越えだ。テレックス!返事!」

  「中国?!また、クルド人。どこでも行くんだから。クックック」

  「海でも渡るかもしれないよ」

  「クックック。泳いで?クックック」

 

  東京事務所からテレックスが入った。

  「ルストム!海を越えたぞ。今度はイラン人だ。横浜に収容されている。すぐに

テレックスだ。送還させられるとまずい」

  「どうやって、行ったんでしょう。信じられないなあ」

  「飛んだんじゃないか」

  「たぶんねえ」

 

  そして、ほんとに飛んだのだ。

  ある日、僕の部屋にデンマ−ク人のアンダ−スが血相を変えて飛び込んできた。

「見たか、このファックス!いったい何考えてるんだ、連中は!理解できん!」とい

って、僕に一枚のファックスを見せた。ロンドン事務所からのファクスで、二日後に

ロンドン在住のアフガン難民の一家族がクエッタ経由でカンダハル(アフガニスタン

)に向けて発つ、手配はすべてIOM (International Organization of Migration) が

済ました、フライトナンバ−、氏名は以下の通りという、そっけない内容だった。そ

の時、カンダハルでは大激戦が続いていて、カンダハルのUN職員はみんな撤退して

クエッタやイスラマバ−ドの事務所に居候中であった。アンダ−スもその一人だ。

  「カンダハルには今、入れないだろう?最新の状況はどうなんだ、アンダ−ス?」

  「無理だ。毎日、負傷者がクエッタに運びだされてる。何もか破壊され尽くして

る。ロンドン事務所の連中は何にも知らないのか。少なくとも事前に連絡すべきだよ」

  「なんのためにイギリスを出るんだろう。強制送還じゃないか?」

  「かもね」

  「それにしても、もっと詳しい情報を送るべきだよな。しかし、クエッタからど

うやってカンダハルへ行くつもりだろう」

  「そうだ、それが問題だ。我々が連れていくのか、ヨシ?」

  「すべての手配はIOM がしたとなっているし、何のactionも要請してないから、

何にもすることないと思うけど、とりあえず、イスラマバ−ドに電話してきいてみるよ」

  「OK、じゃあな。アッ、今晩のパ−ティ行く?」

  「行くよ。その時に結果教えるよ」

  結局、UNHCR は何にもする必要がないということが分かり、僕としては、通常通

り、無事入国できたかどうかだけ確認することにした。もし、空港で逮捕されたら拘

置所に釈放の交渉にトコトコ出かけるのだ。

 

  当日、あいにく僕は州政府に何か別の交渉に出かけることになって、空港に行く

ことができなくなった。でも、IOM が行くはずだから、万が一拘留されたら連絡をく

れるだろう。問題はない・・・・。

  州政府から戻って、僕はこのアフガン家族のことをすっかり忘れてしまっていた

。そして、次の日の夜、別のパ−ティで(1週間に3回ぐらいパ−ティがあるのだ)

、アブドラマンの顔を見て、背筋が寒くなった。『シマッタ!アフガン人の入国の確

認をするのを忘れていた。拘置所にいるかもしれない−−−』

  僕はアブドラマンに近付いた。アブドラマンというのは、IOM のクエッタ所長で

、ドイツ人のおっさんなのだけど、四分の一世紀くらい年下のパキスタン女性と結婚

して、イスラム教に改宗したとかで、妙なイスラム名を名のっているのだ。

  「昨日、ロンドンから来たアフガンの家族、クエッタ空港で受け取ったか」

  「なんじゃ、それ」(えええ?)

  「ファックス受け取ってないのか?昨日ロンドンからアフガンの一家族がクエッ

タにやってくるという」

  「知らないね」(クソおやじ!)

  「IOM が手配したと書いてあったぞ」

  「じゃあ、手配したんだろう」(おのれ!)

  「どういうことだ!そのアフガンの家族はどこ行ったんだ?」

  「事実は、昨日だれもクエッタの空港に来なかったということだ。毎日、クエッ

タの空港に到着する飛行機はチェックしてるから、連絡があろうがなかろうが関係な

い。心配するな」

  「じゃあ、彼らはどこ行ったんだ?」

  「おれの知ったことか」(クソったれ!)

  「カラチだ!カラチ経由で来る予定になっていた。カラチで逮捕されたんだ」

  「その可能性はある」(移送はおまえの仕事じゃないのか!)

  というような、国際こっぱ役人世界の典型的な会話を交わした翌日、三軒隣のIO

M の事務所の前で彼に会ったのできいた。「どうだった?」

  「カラチにもイスラマバ−ドにも着いていない−(クソおやじも一応調べたんだ

)−ロンドンで搭乗したことは確認した」(・・・・?????????)

  「飛行機には乗ったけど、カラチにもイスラマバ−ドにも現れなかった?」

  「そのとおり!」(そんなに自信ありげに言うなよな)

  「どこ行ったんだ?飛行機から飛び下りたのか?空中で消えたのか?」

  「フッフッフ、蒸発したのかもしれん。忘れろ。我々の仕事はなくなった。とに

かく消えたのだ。忘れろ。フッフッフ」(そんな・・・・・・。)

  自分の事務所に戻ろっと。

 

  「ルストム!あのアフガン、飛行機の中で消えたんだって」

  「消えた?」

  「そう、飛行機に乗ったけど消えた」

  「・・・きっと、今ごろ飛んでるんじゃないですか」

  「やっぱり、そう思う?きっと大陸の上を一家そろって飛んでるんだよ」

  「アッハッハ。あ、Mr.Yoshi、ワシントン事務所からテレックスで・・・・・・」

  もう、くどいから止めよう、この話。

 

  みんな、とっても大陸人って感じ、僕はするんだけど、みなさんはどうですか。

上記の話は全て事実です。