* Requiem *

 

< The Quetta News >

 

  死んでヒ−ロ−になることを望む人が本当にいるだろうか。あるいは英雄的死は本当に英雄的だろうか。

  最愛の友人の英雄的行為によって手に入れた5週間分の『アエラ』をまとめて読んで僕はとても不愉快な暗い気分になった。

  二人の日本人の死がどのように議論されているのか、どのくらい広範に騒がれているのか全然知らなかったし、想像しようともしなかった。

  僕は、いつも、もっといろんなことがしたい、時間がもっと欲しいと思ってるけど、自分が死んでしまうことにあまり現実的恐怖が持てない。というより、自分の死にあまり関心がなかった。しかし、『アエラ』を読み終わって、ふと頭に浮かんだ想像にぞっとした。・・・僕は国際公務員だ。僕が死んだら同じように国際貢献やら、憲法やら、危険とナンチャラやら議論されるかもしれない。いや、きっとされる・・・。ゾ−−−−−ッ。ここここここここんんんな鼻糞評論家どもに、自分の死を餌に商売されてたまるか!絶対に生き残ってやる。こんな奴らにインチキ臭い議論させて飯を食わせるぐらいなら、生き残った方がましだ!

* * *

  危険?生命を失う確率のことか?

  危険を顧みず、国際社会のためにあるいは母国のために働いている、なんて考えてる奴がどこかにいたら、そいつはホントの馬鹿だ。勝手に死んでくれ。危険を顧みない奴は犬死にする。

  危険率が高ければ、より大きい国際貢献をしたことになるのか。危険率が低ければ、国際貢献をしていないことになるのか。血を流せば、国際貢献か。いくら単純なアメリカ人だってそんなこと信じていないだろう。政治家のレトリックを真に受ける、お人好しの日本のエライ人達だけが奇跡的に信じる。お人好しは英語で言えば、gullibleだろう。これは最低の侮蔑用語でもある(まぬけ、ノ−たりん、ボケというような語感かなあ)。

  ともかく、そんなこと言ってたアメリカが湾岸戦争に派遣した兵士達の死亡率(危険率)は、アメリカ国内で殺される若者の率より低かった。言葉を換えれば、アメリカの若者達はアメリカよりも危険率の低い湾岸戦争へ派遣されたのだ。アメリカの健全さをいつも危機一髪で救うアメリカのマスコミは湾岸戦争終了時に、すぐさまこの皮肉な数字の比較を公表している。にもかかわらず、「我々は血を流したのだ!」

という恫喝に、ころっと日本はこけた。

  僕は、このイカサマまがいのレトリックを使うアメリカの政治家を責めるほど道徳家でもないし、湾岸戦争に行った若い兵士達をおとしめるほど冷笑家でもないつもりだ。むしろ、これぞ優秀な政治家だと思っている。そして、何より、兵士達に関しては、危険な仕事をして立派でしたね、と言いたくないだけだ。事実は、危険でなくても立派だったかもしれないじゃないか。

* * *

  危険を尺度に国際貢献を測るのは間違いだ。それは、すぐに、危険であればあるほど尊く、危険でなければ価値がない、という野蛮な思想にたどり着く。それは、ちゃちな英雄崇拝を生み出し、英雄崇拝は蛮勇を大量生産する。蛮勇は危険でないものを危険にし、不必要な死をもたらす。それを国際貢献として崇めて、冷静な分析は非難される。国家にとって、これはとどめの一発だ。なぜなら、これで、この愚鈍な興奮に満ちたオ−トメイションは完成してしまうからだ。

* * *

  悪魔か天使が僕に、命と引き換えに25歳の1年間をくれると囁いたら、僕は躊躇なく、命を捨てて25歳の1年間をもらうだろう。

* * *

  時間は無限だけれど、僕の時間はどの1秒も1回限りのものだ。だから、飲み屋で費やした僕の25歳の1年間は、永久に帰ってこない。26歳の1年間も33歳の1年間も飲み屋に消えた僕の25歳の1年間を埋合わせすることができない。すべての人に1回しかない25歳の1年間。

  これは時間の話ではなくて、生命そのものの話なのだ。僕の25歳の1年間の生命は飲み屋できれいに消えた。その後、僕が死のうが生きようが関係ない。あの1年間の生命はあそこで死んだ。2度と取り戻せないから、25歳の1年間は死んだのだ。我々は毎日死んでいる。正確に1秒づつ死んでいる。

  飲み屋でなくて新国家の建設のために25歳の1年間を費やすというのも、もう一つの、同じくらい賢明な生き方(=25歳の1年間の死なせ方)だったかもしれない。僕が25歳の時には、そんなこと思いつかなかったけど、人によっては、飲み屋よりましなだと思える過ごし方が色々あるんだろう。たぶん。

* * *

  生命が無生命から作り出せないように、人の生命を救うことも国家に生命を与えることも無生命をいくら投下しても不可能だ。

* * *

  カンボジアには、25歳の1年間という生命や、46歳の3ヵ月という生命や、28歳の6ヵ月や・・・・・・・・・その他いろんな生命が投入されている。それが、やがて新国家の生命として再生するのだろう。僕の25歳の1年間という生命が大阪の飲み屋の命となって生きているように。

  危険だとか危険じゃないとかは付録じゃないか。驚愕すべきは、彼らが人生のある一時期の生命をtribute として与えている/放棄しているということなのだ。他の無限の選択肢を捨てて、

  日本で楽しく働くこともできたかもしれないのに、

  3ゲ−ムくらいサッカ−ができたかもしれないのに、

  赤坂のバ−で酔っ払えたかもしれないのに、

  新しい本が読めたかもしれないのに、

  美しい音楽を聞くことができたかもしれないのに、

  テレビを見てボ−ッとできたかもしれないのに、

  おいしいもの食べて大騒ぎできたかもしれないのに、

  新しい恋愛が始まったかもしれないのに、

  もっと勉強できたかもしれないのに、

  ・・・・・・・・かも、かも、かも、しれないのに、

  全ての選択肢を蹴って、選ばれたカンボジア行き。だから、その決心は人生のある一時期の、いろんな生きられ方があったかもしれない生命を、カンボジアに贈るという決心なのだ。始めに−決心をした−生命は与えられていた。そこで始まって、そこで終わっていた。贈り物(tributes)としてのたくさんの生命の断片の集積、これがcontributionとして受け取られていく。

* * *

  地球の果てのような、砂色の街でも連日、BBCから Japanese UNV was killed.

Japanese civilian policeman was killed. という音が一日に何度となく、青い空を駆け巡っていた。地元新聞も囲み記事で詳細に説明していた。国連職員はみんな知っている。世界のいたるところで国連関係者は毎日のように攻撃され、あるいは事故にあい、負傷し、亡くなっている。日本人だけが特別じゃない。

  国際公務員の中には、陽気な人が多いせいもあるのかもしれないけれど、同僚の負傷や死亡の報告をあまり話題にしないという傾向がある。「あれ、知ってる?」「ああ、知ってるよ」程度の会話で終わる。二人の日本人の死に関しても同様だった。

つまり、身内の死として受け取られていたのだ。日本人が、ではなく、我々の仲間がまた、殺られた、と。われわれははもう既にそういう時代に生きている。

  二人の日本人も、そういう時代の国際社会の一員だった。青い空の下で鳴り響いた、Japaneseという音は、日本も国際社会で何かしている、ということを砂漠中に知らせていた。

  彼らの意志に関係なく、彼らは日本に貢献してしまった。僕はこういう形で日本の国際貢献が世界に知られることを良いとは思わない。しかし、事実は、彼ら二人の死は、日本の首相の百万回の「日本の国際貢献」という言葉より大きかった。これは付録だ。

* * *

  クドクドと書いたように、彼らはカンボジアに一回限りの人生の、ある時期の生命を贈ることで貢献したのだ。危険を冒すことで貢献したのではない。ましてや、結果的にある時点で与えることのできる生命を失うことででは、決してない。それを誰も理解していない。誰も言及しない。それが見過ごされ続ける。不愉快だ。それが理解されるまで、彼らは、うかばれない。彼らの生命は銃撃によって唐突に奪われたのではなく、彼らの自発的意志によって、彼らが行動を起こした瞬間から日々カンボジアに贈られていたのだ。それが彼らの行った仕事だ、それがカンボジアに受け取られたものだ。それ以外ではない。        

* * *

  自分の生命を自分の意志で誰かに贈ることができなくなる、それが死だ。自分の生命を誰かに与えるためには、そういう死を徹底的に避けなければならない。それを避けようとしない、つまり危険を顧みず献身する、というのは、欺瞞だ、少なくとも偽善だ、徹底的な自己陶酔だ、ナルシズムだ、センチメンタリズムだ。全てを与えるふりをして、誰にも何も与えようとしていない。与えることができなくなることに何の痛みも感じない。しかも、それに気づかない。要するに愚鈍なのだ。こういう愚鈍で無駄な生命体はどんどん消えていけばいい。感謝されるだろう。人類の数が減ったという一点だけで。

* * *

  砂漠で窮地に陥ったら、国連パスポ−トを1万ドルで売り飛ばして、エ−ゲ海クル−ジングを楽しんでから、本部に帰ろう。生き残った方がましだ・・・・・・・・・。