−世界を股にかけるキャリア・ウ−マン−

 

< The Quetta News >

−世界を股にかけるキャリア・ウ−マン−

  という概念が存在する。今時の日本女性の夢ベストテンには必ず入ってるであろ

う、が、曖昧な概念である。今、僕が所属しているような社会はインターナショナル

・コミュニティと呼ばれることがある(国家の集合体のことを指すのが普通だけど)

。これには、国際公務員、各国政府の派遣、NGOワ−カ−などが含まれる。ここで

は、女性差別は全くない、と云って良いと思う。パ−ティ−出席者を観察する限り、

男女比率も五分五分くらいだと思う。人種、国籍、宗教、文化、癖、訛り、美醜、体

臭などは、まさに多種多様で、例えば出身国は数えたことないけれど、30ヵ国は越え

るだろう。共通語は英語である。

  クエッタでは、毎週火曜日の夜9時から、各家持ち回りでパ−ティ−が行われる

。主な目的は、禁酒破りと、親善友好条約の締結である。この週一パ−ティ−は、何

故か『バ−』と名付けられている。この他にも、各自が勝手に主催するパ−ティ−が

週に何回かあるので、全部出席するとニッポンのサラリ−マンになる。毎回出席する

レギュラ−メンバ−と、時々出席する人合わせて、『バ−』にはだいたい30人から50

人くらいが集まる。僕は毎回出席する意志はあるのだけど、時々忘れる。どうして毎

週来ないのだ、と詰問する人もいるけど、行く時同様、行かない時も大して理由がな

い。忘れっぽいだけなのだ。

  さて、彼女たちが「世界を股にかけるキャリア・ウ−マン」なのだろうか、と大

酒くらって、はしゃいでいる、若く、美しく、才能に恵まれ、外国語に堪能な、心身

ともに健康そうな、世界各国の女性を見て、考えたら、思わず吹き出しそうになった

。確かにそうかもしれないと思いつつも、日本語の持つ神聖化された語感と現実の彼

女たちの生々しい存在感とのあまりの落差に笑ってしまうのである。

  彼女達は僕といっしょである。好きな所行って、好きなことしたい、それだけ。

壮大な野望も、厳粛な使命感も、悲壮な覚悟も、もちろん国際貢献もへったくれもな

い。「エッ?英語が必要なの?じゃ、英語勉強しよう」「あそこはフランス語?じゃ

、フランス語勉強しよう」てな具合に、外国語をマスタ−していき、「ああ、ブタっ

た、ブタった」と云っては、ウオ−クマンを聞きながら、荒野を走りたおす。細い腕

で、ごつくるしいランドクル−ザ−のハンドルをわしと掴み、気違いじみた交通をか

きわけ通勤する。

 

  しかし、なんで、またこんなとこに来たんだろう、とは僕も思う。直接そんな質

問をするのは危険な感じがしたので、インターナショナル・コミュニティで一番若い

女性であるカトリ−ヌに、「イスラム教国で女は大変だろう?」って聞いてみたこと

ある。カトリ−ヌは28歳のフランス人でICRC(国際赤十字病院)でフィジオセラピス

トということをやっている。(余談だけど、彼女を英語風にキャサリンと呼ぶ人もい

る。僕が、彼女はフランス人なんだから、フランス風に呼べばいいだろう、と云って

も、英語を喋っているのだから、英語風でいいのだと、キャサリンと呼び続ける人も

いるのだ。国際人は頑固だ。当のカトリ−ヌは全然気にしていないので、どうでもい

いのだけど)。

  ところで、カトリ−ヌは、2年間クエッタに住んでるけど、全然大変なことない

、クエッタは楽しいし、クエッタが好きだと答えた。「あんた、イスラム教徒か」と

僕がまぬけな質問をしたら、彼女はまじめに答えようとしてつまった。「違う。ハッ

ハッハ。私はアテ、アテ、あれ?何だったかしら。あれよ、アテ?」「Atheist ?」

「そう、それよ。メルシ−」というわけで、彼女には神も仏もなかったのであった。

(アテから何故、

Atheist [エイシ−イスト:無神論者]が連想できるのか?それはフランス語の教科

書の最初の3ペ−ジ以内に絶対書いてある。僕はいろんなフランス語の教科書の最初

の3ペ−ジの、のみのちょっとした権威である)。

  まぬけなことを訊いたおかげで、話がすっかり逸れて収拾がつかなくなり、その

うち酔っ払って、踊って、わめいて、笑って、走り回って、心神喪失状態で僕は寝て

いた。世界中どこへ行っても僕は同じことをしているような気がする。

  クエッタのICRCは今年いっぱいで閉鎖される。カトリ−ヌはフランスへ帰ってし

ばらくパリで休養してから、また仕事を探すわ、と云っていた。この余裕が、世界を

股にかける条件かもしれない。

 

  同じICRCのポ−ラは僕と同じ歳くらいのオランダ人で、なんと首相暗殺事件があ

ったスリランカへその直後に一人でバケ−ションに出かけた。止めてもきくわけない

ので、誰も止めなかったのだろう。1ヵ月後、彼女は元気に帰ってきた。山ほど写真

を持って。

  「危険だったか」

  「危険じゃなかった」

  「ああ、そう」

  という確信に満ちた挨拶を交わした後、写真の分類に熱中しているポ−ラに根掘

り葉掘り聞くと、スリランカの空港でスリランカ旅行のベテランのヨ−ロッパ人に会

い、その人に安全な地域のホテルを教えてもらい、翌日は汽車に乗って南の海岸へ行

ったので、ク−デタ−騒ぎは彼女のバケ−ションにまったく影響がなかったそうだ。

1週間しかスリランカに予定を取っていなかったことをしきりに悔しがっていた。そ

んないいところなら、僕も行こう。クエッタ−スリランカの往復チケットは、大阪−

東京の往復チケットと同じくらいの値段だ。航空運賃を見るかぎり、日本は気が狂っ

ている。

  ところで、スリランカの後、オランダに帰って休養していたのかと思ったら、ヨ

−ロッパ中をあちこち旅行していたそうだ。せわしないやっちゃなあ、と思いつつ、

ヨ−ロッパ人もヨ−ロッパ旅行をするんだ、という妙な感慨にふけりながら、写真を

一枚ずつ検証していると、実に不気味な写真を一枚発見した。それは人間の頭蓋骨で

作られたシャンデリアであった。

  「本物か?!」

  「本物よ」

  う〜〜む。よく見ると細部もすべて人間の足とか腕の骨を使ってある。

  「どこ?これ」

  「チェコ」

  ポ−ラはいつも確信に満ちているのだ。しかし、僕はイライラし始めていた。

  「で、何なのだ、これ?何か説明とかなんかなかったの?」

  「あったけど、読んでないもん」

  まったく、写真だけ撮ってくるなんて、亡国の日本女子大生みたいなやっちゃな

。ともかく、僕はそこで追求を打ち切った。(しかし、未練は残っている。誰かこれ

について知っている人がいたら教えてほしい。)頭蓋骨の出自を犠牲にしても、ク−

デタ−があっても、一ヵ月楽しみ切る能力が世界を股にかける条件かもしれない。

 

  ICRCついでに、ここの日本人看護婦さんについても書いておかねばならん。クエ

ッタのICRCには必ず日本人の看護婦さんが一人いることになっている。日本の赤十字

病院から派遣されてくるのだ。6ヵ月交代で日本中のいろんなところからやってくる

。日本の赤十字病院からは、クエッタだけでなく世界中に派遣されているそうである。

  日本のお医者さんも3ヵ月交代で派遣されてくるはずなのだそうだけど、なかな

か志望者不足のようで、日本人医師はいないことが多いみたいである。しかし、たま

たま僕がここに来た直後、大阪赤十字病院から、ひどい関西訛りの英語を喋る陽気な

医学博士がやってきて、ワッハッハと笑ってチョイチョイとアフガン戦傷者の手術を

こなして、3ヵ月後、「ああ、餃子と焼肉食いたい」と唸って、「東京で記者会見や

でええ」とブイブイいわしながら、日本に帰っていった。

  「大阪に来たら、うまいもん食わしたるでえ、ろくなもん食うてへんやろ、日本

帰ってきたら、病院に電話しいやあああ〜」

  「はあ」

  きっと、彼は日本の医者の例外なんでしょう。学園紛争で東大法学部を受けそこ

なって、しゃ−ないからとりあえず京大医学部に入って、東大入試が再開したら受け

なおすつもりがクラブ活動が止められなくなってそのまま医者になってしまったそう

だから、年令は庄司薫とか山本コ−タロ−と同じくらいなのでしょう。イギリス人と

オランダ人の外科医が「彼の腕はいい」と云っていた。彼の交代要員はまだやってこ

ない。

  ところで、6月は日本人看護婦さんの交代時期で、2週間くらい引継ぎのため二

人の日本人看護婦がクエッタにいる。日本へ帰っていくのはミッキ−(ほんとはミチ

ヨというらしいけど英語なまりでミッキ−になったそうだ)で真っ黒に日焼けしてい

る。日本からやってきたばかりなのはナオミ(イギリスにもナオミという名前がある

ので、意外とみんなちゃんと発音する)で真っ白である。

  ミッキ−は徳島で生まれて徳島で育って徳島で仕事して、いきなりクエッタにや

ってきた。ナオミは熊本で生まれて熊本で育って熊本で仕事して、いきなりクエッタ

にやってきた。この二人は東京とか大阪ではもう絶滅した、普通の日本人である。こ

ういう日本人を最後に見たのはいつだっただろうかと記憶を辿ると小学生くらいまで

遡ってしまう。

  この二人は、もちろんCNNのネ−ちゃんのように流暢な米語をベランベラン喋

る、わけがない。金平糖のようなカタカナがコロンポロンと口からこぼれてきたと思

いきや、これが英語であった。しかし、そんなことはどうでもいいのである。重要な

のは、彼女達の医学的知識と技術であって、ラレンロレンラロン英語ではないのだ。

「静かだし、おとなしいし、英語もあんまりだけど、彼女達の知識と技術はとてもし

っかりしている」と、彼女達と同居しているポ−ラが云っていた。

  二人ともICRCではとても大事にされている。二人とも29才だけど、ヨ−ロッパ

人から見ると中学生くらいの感じである。僕もそう思った。

  「困ることない?大変なことない?」と聞いたら、

  「みんないい人なんだもん」と云っていた。もちろん、そんなわけはない。あい

にく僕は彼女達の3000倍くらい英語がよく分かるので、人間関係がずっと丸見えなの

だ。6ヵ月くらいなんにも見えない方が幸せだろう、と思って僕は何にも言わないけど。

  しかし、僕は彼女達を見て、たいしたものだなとつくづく思う。壊れそうな華奢

な体格なのに、僕みたいに、下痢したり、熱を出したり、癇癪を起こして怒鳴りちら

したり、落ち込んだりせずに、たんたんと仕事して生活している。外国生活の経験と

か、国際政治の知識とか、異文化交流の社会学とか、そんなものは、彼女たちにはま

ったく無縁のものである。あるのは、たぶん僕の6000倍くらいの医学知識と技術であ

る。彼女たちはただ、プロフェッショナルとしてやってきた。そして、そのプロフェ

ッショナルな側面で高い評価を受けている。日本からほんとに国際人とか、世界を股

にかけるキャリアウ−マンというものが生まれてくるとしたら、こういう普通のプロ

フェッショナルからではないだろうか。日本で落ちこぼれて、アメリカへ遊学し、ろ

くでもない汚い米語と不作法だけを覚えて、日本の都会に吹き溜まる日本人は、頭の

悪い日本人社会の中だけで「国際人」になることはできても、国際社会へでれば、い

かなる文化に属する資格もない、ただのゴミである。完璧な日本人であったり、完璧

な西サモア人であったり、する方が、国際人もどきになるより、よっぽど大事だ。国

際社会は、完璧なブルキナファソ人からは少なくとも何かを得ることが出来るのだから。

 

  とまあ、ごちゃごちゃ書いたけど、要は自分の力で楽しめるかどうか、それが彼

女たちにとって一番大事な条件であるような気がする。